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2016年4月 1日 (金)

誰もがひとり歌っている

  ほぼ1年、ようやく骨折が治りました。家にずっと引きこもらなければならないのOntheroad_1 だから、本を読もう、ギターを独習しよう、何でもいいから勉強しよう・・・昨年の今ごろはそう考えていました。ところが、身動き取れないことで何もする気が起きず、何もせずぼんやりと過ごしてしまいました。遠出ができるようになったので久しぶりに元の職場の同僚とOB会の幹事を務め話を聞くと、同じ1年でこれほども違うのかとその充実ぶりはまぶしいほどでした。何もしなかった私は会話についてゆけず、ベンチ入りした選手のようでした。Ontheroad_2 現役で会社勤めの時は良い仕事に就けるのは実力が7で運が3くらいだと思います。これが定年以後だと実力と運は良くて五分五分、私のようにさしたる実績も人望も徳も人脈もない人間はほとんど運次第だということを感じました。この1年はその現実を素直に受け入れて怒ったり悩んだりしても無駄なことを学びました。

  現役の時は上下関係や責任分担で利害関係とそれを利用したりされたりで人間関係が成り立っていますが、リタイヤすれば利害関係がなくなり、利用できるかどうかだけの関係になります。親子関係しかりで、わずかばかりの年金や資産しかない利用価値のない親との関係は疎遠になるわけです。苦労して育てたなんて昔話をしたところで何の意味もありません。ずっと以前の職場のOB会では出席メンバーによるのでしょうけれど上下関係をそのまま持ち込ん Ontheroad_3_2 で上から目線で話されたり、いつの間にか本人のお手柄にすり替えられた自慢話を聞くのは苦痛でしかありませんでした。

  趣味を同じくするメンバーのOB会なら旅行や趣味の薀蓄話を聞くのは楽しいものです。過去にしか目がいかない老人たちと、今から何をしようかと若者のように目を輝かせている老人たちとでは玉手箱を開ける前と後のように世界も人間関係もまったく違うのです。過去に起きたことがこれから先必ずしもOntheroad_4 起きるとは言えない世の中です。それに記憶はどんどんあいまいになって自分の都合の良いように脚色された過去の栄光など心の支えにはなってもいま起きている厳しい現実を直視して対応しなければ、これから先生きてゆくうえで何の役にも立ちません。正しく過去を振り返られる人が正しく将来を予測して間違いのない人生を送ることができる、過去をきちんと振り返らない人は人生を誤っても気づかないまま一生を送る―そう思います。

  曽野綾子さんの「人間の基本」を読むと容赦なく突きつけられる冷たい現実、きれいごとではない現実があります。この世の中をふれあいのある温かい世界だなんて妄想をして現実から避けようとするからずっと根源的な問題が解決しないのだろうと思います。このごろのニュースやゴシップを見聞きするときれいごとを並べる人ほど信用できない・・・そう思うようになりました。疑うのは良くないけれど、何の疑問も持たずに騙されるよりはましだと思います。それに騙される方が悪いといった犯罪者を擁護するおかしな風潮もあります。

  曽根綾子さんがこの本の中で繰り返し述べているように厳しい現実を乗り越えるにおは助け合いだなんて期待せず、Ontheroad_5 自分の身は自分で守り、自分の道は自分で決めて進むしかないのだとおもいます。そんな当たり前のことを浜田省吾さんのライブアルバム「ON THE ROAD」(1982年)を聴きながら感じました。メッセージは違うところにあるのかもしれないけれど、聴く人の置かれた立場によってそれは変わるものだから、人生の途上で今しか真実ではない自分をしっかり見極めて気持ちを前に進めてくれればそれでいいのだと思います。誰もがみんな、誰かに聞かせようなんて思わないで勝手に歌を歌っている世界なのだから、聴きたい歌を聴き、聴きたくない歌は聞き流せばいいのだと思います。

  ところが、聴きたくもない歌を大音声で歌う人たちがOntheroad_7 増えているように思います。またその歌を歌うなと騒ぎ立てる・・・そんな騒々しい状況が続いています。心に響く歌は誰でも自然と聴き、感動で涙する名曲があるはずです。ところが現状は不安を煽るように支離滅裂で汚い歌詞と、派手なパフォーマンス、うるさい演奏、下手な歌で心の平安がかき乱されます。不完全な人間が支配しているどうしようもない世界である以上、貧困も格差も、いじめも犯罪も戦争もそれぞれレベルは違いますがなくならないのです。それは昔も今も何一つ変わっていません。解決するための名曲とうまく伝える歌い手さんの美声ははいつになったら聴けるようになるのでしょうか。それまでしっかり耳をふさぐことしか私にはできません。
Ontheroad_6

2015年12月18日 (金)

変わらない夢を求めて

  中島みゆきさんが17年ぶりにレコードアルバム「組曲」をリリースしたので早速Sejo1 購入しました。試聴はもう少したってからにして、フォークの2時間BSスペシャル番組で取り上げられていた「世情」を収録したアルバム「愛していると云ってくれ」(1978年)を聴くことにしました。「金八先生」(1981年3月20日放送)で校内暴力を排除するために生徒が逮捕される「いちご白書」(1970年)を彷彿とさせるシーンでバックに流れ有名になりました。最近の統計では1980年当時に比べ校内暴力は10倍以上になり、小学校でも問題になっているようです。ただのケンカで済んでいたことが障害や殺人へと重大化していますし、統計に表れない陰湿ないじめもあります。

   「変わらない夢を見たがる者たち・・・」

  いじめで自殺した子どもを持った親御さんたちが真実を求めて学校 や教育委員会に訴えても、「いじめはなかった」と「変わらない夢」を繰り返すばか
Sejo2_2り。「なぜ親や教師に相談しなかったか」-自意識の強い子供ほど親や周囲に迷惑をかけたくないと思うし、教師は話せば仲良くなれると思い込んでいる、誰かに相談したら仕返しされるのが怖いーそう思います。学校は「組織的」に隠ぺいを謀って「問題校」と言われるのを回避しようとするー許可なく実名をさらすのはよくないけれど個人情報保護は加害者に手厚く、被害者ばかりが家庭環境や人間関係まで暴露されるので、「本人の意志が弱い」とか「親の教育や接し方がが悪いとか」勝手に部外者が問題をすり替えしまいます。事件は都合の良いように解釈された内容だけが事実のように残ってゆき、真実は永遠にわからなくなってしまいます。

   「包帯のような嘘を 見破ることで
     学者は世間を 見たような気になる」

  事件が明るみになると評論家や学者、タレントまでが事実を確認せずに勝手にSejo3 原因を結論付け、ひどい時は加害者を弁護したり、理解を示そうとします。そんな重大事件も次々と起きている凶悪事件に埋もれてひと月もすれば忘れ去られてしまいます。世間の関心が薄れて、真実を解明する機会を失った親御さんたちのお子さんを失くした無念と苦しみはずっと続きます。「面白半分」や「からかい」で子どもが死ぬほどの苦しみを受けることを誰も理解しない世情。いじめる側といじめられる側の子どもの将来はどちらが重いのだろうかと事件後の加害者と被害者の結果を見て疑問に思うことばかりです。

  人間は過ちを犯しやすい、だから罰を与えてその罪を責めるべきではないーそんな「夢」を見たい学者や評論家、有名人の上っ面Sejo4 の意識を感じます。「目には目を」とは言わなけれど「更生」の見込みがない犯罪者は一生檻から出ないでほしいと思います。そう考えるのは「人間性」が無いことなのでしょうか。猟奇的な殺人を犯した少年A、何の理由もなく友人を切り刻んだ少女A、ネットで呼びかけて面白半分で女性の命を奪った殺人犯・・・本来なら人間としては存在してはいけない悪人たちになぜ「人間性」を見ようとするのでしょうか。

  年金運用で何兆円もの公金を損失した役人、オリンピック選手の年間の育成費とほぼ同額の損失を出し
Sejo5た法人とその長たる元首相の放言、選挙の票を獲得したいために税金をばらまく政党、いつまでたっても被災地の復興ができない国・・・その責任を一切取らないのはまさに犯罪です。

  「シュプレヒコールの波
       通り過ぎてゆく」

   いくら嘆いたところで「頑固者だけが悲しい思いをする」世情は何も変わらないのです。平和は何をおいても命と同じで大事ですが、「平和ボケ」で何も変えようとしなければ、それが何も変えずに傍観している言い訳になってしまいます。

  「今まで何にも問題なかった
    じゃないか、 なぜわざわざ波立たせて問題を起こすのか」
  「そんな前例のないことをやったってうまくいくわけがない。
    失敗したら責任はとれるのか。」
 
   ・・・・・ 現役のころ「変わり者」だった私がよく言われたセリフです。しかし、歴史を振り返ると「変わり者」こそが世の中を変える人たちだと思うのです。何も変えられなかった「ただの変人」の私には無理ですが生きている間に本当の
「変わり者」がこんな澱んだ世情を一気に変えるところを見たいものです。
Sejo6

2015年11月 2日 (月)

愛は愛とて何になる・・・

  先週と今週BSプレミアムで再放送された「ザ・フォークソング~青春のうAgata1 た~」にカルメン・マキさん、長谷川きよしさん、あがた森魚さん、山崎ハコさん、リリィさんの実力派が出演していました。デビューしたころは弱々しい感じだったカルメン・マキさんでしたが、容姿がふっくらとした現在の圧倒的な声量と歌唱力で歌い上げる「時には母のないこのように」には聴き入ってしまいました。カルメン・マキさんを見出した寺山修司さんもすごい人でした。歳を重ねて人生の辛酸を味わった今だからこそ理解できる、心に響く名曲だと思います。

  なぎら健壱が武田鉄也さんとの珍妙なやり取りでニューミュージックとフォークの違いを面白おかしく説明していました。ニューミュージッAgata3 クがファンタジーとするとフォークは日常を淡々とありのままに表現するという違い、ニューミュージックが出てきてフォークシンガーは仕事がなくなったとの締めくくりに納得しました。なぎらさんと同じくらいフォークソングに造詣がある板崎さんとのギターコードについてのやり取りではシンプルなフォークのギターコードとアルペジオやハンマリング奏法のわかりやすい説明は「そうだったのか!」と弾こうとして何度も挫折した私にとって目からうろこでした。なぎらさんは話芸はもとより芸達者な人ですね。

 フォークが全盛だった70年代は「昭和元禄」(1964年ご Agata4 ろから)とも言われそれまでとは異なった庶民的な文化-
フォークはそんな雰囲気にマッチして流行った時代でした。中でもあがた森魚さんは大正から昭和初期の浪漫主義に対するあこがれを歌曲にした感じで、チンドン屋さんの「美しき天然」のクラリネットの物悲しい響きにも似ています。「赤色エレジー」(1972年)2年後にリリースされた「昭和枯れすすき」と曲調がそっくりなので同じ作曲者かと思いました。昭和初期に流行った「あざみの歌」とも冒頭が同じということで作詞・あがた森魚、作曲・八洲秀章となったようです。あがた森魚さんもまた当時は風采の上がらない生活にやつれた感じでしたが、朗々と味のある声で「赤色エレジー」を歌い上げていました。

 「赤色エレジー」は活動写真のBGMのような古臭い曲でありながら曲で歌われている主人公一郎と幸子の日常を描いたコミックAgata5_2 「同棲時代」が若者に支持され、
URCからスピンアウトしたベルウッドレコード初のヒット(50万枚)となりました。それまでタブーとされてきた結婚前の「同棲」がこのころから抵抗がなくなったように思います。漫画がコミックと言われ若者文化に大きく影響を与えるようになったのもこのころからですね。「赤色エレジー」を収録したサントラアルバム「天使ぢゃないよ」(1974年)で確認したところやはり記憶していた通り、街角にしゃがみ込んで物乞いをするような今にも泣き出しそうな震える声で歌っています。ウォーターゲート事件があった年で景気が急速に減速して就職難だったことを思い出します。閉塞感・虚脱感が覆う世相にこの曲はあっていたように思います。

 昭和初期の演歌を中心とした懐メロ番組は70年代のフォークソングやニューAgata6_2 ミュージックに置き換わりつつあります。
ここが人生の分かれ目になるような勝負に出るときやどん底にあるときに勇気づけてくれる演歌も好いですが、フォークソングは青春時代の日記を開くような思いにさせてくれるのがいいですね。タイムマシンがないので時間を進めたり戻したりはできないから、せめて気持ちだけでも戻ってみたい・・・フォークはそれにぴったりですね。いつも前向きに生きていくのは理想だけれど、あの時はこうしておけばよかったと思いながら次は同じ失敗を繰り返さないようにしようと生きていくのが現実ではないかと思います。でも、同じところに何度も戻るのはレコードがすり減るようなものですから、それもほどほどにしておくことですね。
Agata7

2015年9月13日 (日)

今年の秋はいつもの秋より・・・

  今年の夏は記録的な猛暑でした。それがお盆を過ぎたあたりから台風の影響End1 で気温が下がり、ここ数週間は大雨を降らし続けやっと晴れ間が見えるようになりました。気温も少し上がりましたが夜になれば秋の風。この夏はこうしてずっと椅子に座ってパソコンに向かう時間で過ぎました。時間がたつのを忘れ、日付を忘れ、気が付いたら夏はごみ箱に捨てられたカレンダーの1ページになりました。海を見たかった、陽炎が立つ日照りのオフロードを走りたかった・・・そのどれもが思い出になりませんでした。

 
今夜は夏の終わりの蒸し暑さと、ひんやりとした秋の 夜風が交じり合う部屋でアリスのアルバム「ALICEⅦ」(1979年)に収録されている「End0秋止符」を聴いています。歌とは逆の何もなかった夏ゆえに今年の秋はいつもより短くなりそう・・・と感じています。あっという間に過ぎてきた夏はこれまでも何度かありました。受験勉強や山登り、新婚生活、海外旅行―そのどれも楽しいことやつらいことがあって短く感じた夏でした。今年のように何の変化も感動もなく過ぎた夏は初めてです。春と秋の間がタイムトンネルでつながってしまった―子供のころに見たテレビドラマのように―何年か先にはすっかり記憶から消えてしまうに違いありません。だから秋はもっと短く感じそうです。

  子供のころの夏休みの楽しみといえば縁日の金魚すくいとか花火大会、盆踊りEnd2 でした。浴衣を着てうちわを持って、げた履いて、日ごろは行けないアーケードは夢のようでした。その夢の世界から掬ってきた金魚は数日で死んでしまい、ボンボンはしぼみ、夏休みの終わりごろには夢から覚めてしまいます。そんな夏が好きで夏休みが待ち遠しかったです。絵日記をきちんとつけておけば思い出すだけでも楽しいのに毎年3日ぐらいで忘れて夏休みの終わりにあわてて書く始末。
いまごろになって1日1日が大切なことに気が付いて後悔しても遅いですね。

  中国の時代小説を読んでいると1年を「春秋」、年を重ねると「幾星霜」という表現をよく目にしますが年月の経過を夏で表した文章は見たことがありません。昔も今も夏は暑くて何もする気End3 が起きなかった、早く終わってほしかった、そう感じます。日本の会社はお盆休みを中心に長くても1週間程度の休暇を取るのが一般的ですが外資系の企業ではほぼ1か月バケーションという人が珍しくありません。そのために夏休み前に大量に資材を発注して在庫を増やしておくようにしていましたがタイミング悪く夏が終わってから着荷して、納期は間に合わないし、過剰在庫になるし、売り上げは激減で上司に叱られたことがありました。その時の私は1日千夏(秋)の思いで資材到着を待ち続けていました。

  「秋止符」は夏にあった出来事を忘れたい秋がいつもより長く、淋しく、辛く感じ End4_2 るやり場のない切ない気持ちを綴っています。こんな行きずりの恋をしたことはないけれど片思いは数知れず、歌詞の1つ1つが胸に迫ってきて、初めて聴いたときは涙が止まりませんでした。仕事をしているときや仲間や家族に囲まれているときは何もかもが明るい夏の日差しに照らされて幸せの絶頂にあると感じるからこそ、そのすべてを失う夏の終わりは辛くて長く感じます。一生懸命働いてきたのだからそのご褒美として悠々自適に暮らせばいいなんて心境にはとてもなれません。

  かといってこんな孤島のようなところに昔の仲間や家族を呼んだところでこの秋が終わるまでお金も
話題も乏しい私の相手をしてくれるわけではありません。End5 日暮に鵜の鳥は巣に戻ってしまうし、連絡船は母港に帰ってしまうのです。取り残された私は朝が来ても気持ちは夜のままだし、心は光を失った灯台なのです。今年の夏はあまり身動きできない状況だったので悶々としていましたが、暗さに目が慣れるように自分の置かれた状況をありのままに受け入れました。いつか最後の夏が終わってもう冬を待つしかない短い秋になっても自分を見失わず何が起きても受け入れる。それは自分の責任とか運命とか重く受け止めるのではなく、秋風が少し涼しいかなと受け流してゆく―この季節に感じる孤独は枯葉が落ち葉になるまで風に吹かれて舞っているだけなのだと思います。

  秋は長くても短くても美しい季節。移りゆく景色を眺めながら風に舞う枯葉のように生きていけば人生の秋はそれでよいのだと思います。思い出がたくさんあってもなくても、お金がたくさんあってもなくても、幸せでであってもなくても、たくさんの友人に囲まれていてもいなくても、いつかは土に還る身なのだから。
End6

2015年9月 9日 (水)

回転ドアを少し回せば

Hotel1   何度聴いても意味がよくわからないレコードが何枚かあります。松任谷由美さん(以下、ユーミン)の「時のないホテル」(1980年)がその1枚。都会的で明るい曲が多いユーミンにしては暗く重い曲ばかり。タイトル曲は戦争映画で観た軍艦の伝声管を通したような声。イエローサブマリンにも似た感じの曲がありました。とある高級ホテルに泊まるスパイがひとときの安らぎを求めて交歓している・・・そんな情景が浮かびます。

  それをを暗示するようにジャケットには
超高級ホテルソファに無表情で深々と腰かけている写真、別のシーンはスパイたちとなにやHotel2_2ら 怪しげな会話をしているらしいユーミン。このアルバムの前後から始まる80年代は大掛かりなライブステージや人気歌手への楽曲の提供でデビュー以来2度目となるブームが起きました。ティータイムをとても大切な時間と見開き1ページに語っているのはいろいろな可能性を試してそのブーム到来を待っているようにも思えます。

  この「時のないホテル」は平和ボケした日本を揶揄しているとの説明もネット上Hotel3 で散見されます。宮崎駿さんのアニメ「風立ちぬ」の主題歌として「ひこうきぐも」が取り上げられたことを以前ブログに載せましたが、改めて歌詞を見直すと若くして大空に散った若者たちを歌っているのではないかとも思えます。戦争で多くの犠牲を払いながら敗戦国となったためにその責任を背負い続け、日本のために命をささげた人たちへの供養は公にはできない状況です。戦争で悪逆非道の限りを尽くしたように言い募る隣国がありますがはたして事実はどれくらいあるのでしょうか。まるで70年間時が止まったようです。

  さてその平和ボケした日本では日本や同盟国が戦争や紛争の脅威にさらされた時、生命や財産を守るために必要な集団的Hotel4 自衛権を行使する法案を成立するにあたり、戦争法案とレッテルを貼って一向に理解しようとせず、こうした危機を防止する対案も示さず、延々と不毛の議論を繰り広げています。その国会の外ではこれまた無意味なデモが議事堂前を埋め尽くしています。明らかにテレビ映りを意識したプラカードや何の関係もない着ぐるみまで登場してお祭り騒ぎです。昔の学生運動は方向が違っていたかもしれないけれど主義・主張がありました。ところがここに集まっている群衆には何の方向性も切実さもありません。マスコミもまた怪しい世論調査とか、大げさにニュースで取り上げるので日本中が戦争反対を叫んでいるように煽り立てます。

  回転ドアを少し回せば 外の空気が流れ込むけど
  あわてて止めに来るよ 制服を着たボーイが・・・

  この歌詞のような光景を一体いつまで見続けなければならないのでしょうか。Hotel5 安保体制が日本のためにあるように思っているかもしれないけれど、私はアメリカ本土を防衛するために日本を前線基地にしたいだけだと思います。戦争になれば機能が集中している首都圏がまずミサイルで破壊され、反撃のために「国民の理解」をとっている間に日本全土が焦土になります。現代戦は一瞬で決まり、兵士は高度な戦闘訓練を必要としているので徴兵した一般人は即戦力になりません。戦争法案とセットで「徴兵制」を騒ぎ立てているのは全くナンセンスとしか言いようがありません。戦争の本当の恐ろしさを知らない平和ボケした日本ならではの空想です。

  憲法を根本から改正すべきという意見は最初から無理とわかっているから言える「正論」ですね。平和のために戦争をしてはいけない―そんな当たり前のことを延々と主張するむなしさを感じます。盛大な軍事パレードで「平和路線」を唱えるようなものです。もういい加減に戦争反対ごっこはやめて現実的で足が地に着いた国家を目指してほしいものです。
Hotel6

2015年7月14日 (火)

あつい夏が、夏が走る

  梅雨の切れ間なのか明けなのかいきなり真夏日になって気温は33度。32度Kan2 までアイスコーヒーやノン・アルコールビールで凌いでいたけれど、ボーっとした頭に熱中症が過り、我慢できずにクーラーをつけてしまいました。25度でも暑いと感じていたのは10年前。それから毎年1度ずつ上がる感じでとうとう30度を超えるようになりました。25度が涼しいくらいです。北に位置するのに37度を記録した北海道はどんな様子なのでしょうか。ワンゲルで色丹半島の暑寒別岳から雄冬を歩いたときは夏でも朝晩はストーブを焚いていましたから信じられない暑さです。

  こんな暑い日を「かんかん照り」とよく言います。「かんかん」が何を意味するのかを調べてみました。一般的な辞書では暑さが厳
Kan1しいさまと しか説明されていません。さらに調べると漢字の「干干」ではないかという説を見つけました。干ばつの「干」ですね。ついでですから適当な感じを当てはめてみました。「汗汗」―汗がたくさん出る、「缶缶」―ビールをたくさん飲む、「癇癇」―暑くてむかつく、「閑閑」―人出が減って街は閑散、「喚喚」―叫びたくなりそう・・・どの字を当てはめてもつらいです。

  井上陽水さんの「かんかん照り」(1976年)を思い出して収録されているライ Kan6_2 ブアルバム「東京ワシントンクラブ」を聴いてみました。フォーライフレコードが設立された年の「招待状のないショー」に続くアルバム、TVCMにぼんやりと映った陽水さんが印象に残っています。構成は「氷の世界」に似ていてライブアルバム3枚の内の2番目で珍しいです。フォーライフに移籍してからそれまでのセンチメンタルな雰囲気からロックに曲調が変わって、
「かんかん照り」は感情を出すシャウトがより強くなっています。1999年にCDアルバム「GOLDEN BEST]を出した後テレビに出演することが多くなり、NHKのSONGSに何回か出演されています。声量がかなり落ちているものの伸びやかで艶のある声はそのままです。「少年時代」を始め陽水さんの夏の歌は特に好きです。

  夏といえば会社を辞めて誘われ るままに社員3人の小さな会社の取締役になり、
ほとんど思いつきで指示すKan3る社長の言われるまま このかんかん照りの空の下で、飛び込みセールスしたちょっと辛い思い出があります。アポなしのため売れそうもない商品の説明を少しでも聞いてくれるのはまだしも、用件も聞かず門前払いがほとんどでした。それでも得意先があり、商品を開発したり、仕入れて納入することでわずかばかりの収入がありました。給料が支払われたのは最初だけであとは商品が売れたらということでした。夏が終わるころには得意先からの注文もなくなり、仕入れ先からの借金に追われるようになりました。昨日まで優しかった営業の人が鬼のような形相になって連日のように借金を取り立てに来ました。

  いろいろな人に話を聞くうちに、この社長は以前、大企業に勤めていたことで人Kan4 脈があるころを見せて投資話を持ち掛ける詐欺師だとわかったのはその年の暮れでした。
売り上げが毎年二千万円という社長の話にすっかり騙されていました。年が明けるころには就職活動を始めて運よく再就職できました。ところが手形の仕組みをよく知らず、保証人になってしまったための辞めてからも督促状が来たことがあったので友人に相談してようやく解決しました。借用書をとっていたので出資金も戻ってきました。その後、この社長は裁判に訴えられたと聞きました。この社長が熱く語っていたことはすべて妄想・・・炎天下の陽炎のようなものでした。夢を熱く語るのは良いけれど騙されてはいけない―この夏の出来事以来、物事をサングラスで見るように臆病になりました。

Kan5

2015年7月11日 (土)

こどもの時間

  フォークルのアルバムを探していたら、半年くらい前に中古レコードを買う時にMoon1 1枚では送料がもったいないのでついでに買ったなぎら健壱さんの「永遠(とわ)の絆」(1978年)日本青年館ライブアルバムが出てきたので聴いてみました。司会がタモリさん、応援に高田渡さん、加川良さんなどフォークのレジェンドも参加して、コンサートというより落語や漫才を聴いているようです。曲調もデキシーランド・ジャズ風だったり、ロック風の童謡だったり、ブルース、演歌やバラードと多彩です。神出鬼没で風体は飲み屋さんの暖簾をくぐる恰好が似合う人です。このアルバムもよく言えばライブの臨場感がある録音でレベルが一定せず聞き取りにくい部分があります。

  ことにB面が秀逸でパンチのあるピアノのリズムにMoon2 引きずられて酔っ払いがブルースを歌うような「残り酒」、高田渡さんの雰囲気の「最後の思い出」にほろっときてその高田渡さんをネタにしてしまう「葛飾にバッタを見た」で大笑い。
なぎらさんのような歌がアングラと言われた当時、変幻自在の歌い方・スタイルのシンガーは結構いました。けれどいまはなぎらさん以外は見当たりません。いまでいうインディーズなのでしょうけれどこちらは商業ベースに乗れないだけで売れればメジャーデビューする予備軍のようなものらしいです。歌舞伎役者みたいなメイクや派手な衣装のビジュアル系というジャンルらしくて見た目も楽しいです。

  フォークの生き字引のようななぎらさんは昭和30年代の下町についても本を出Moon4 していてお父さんが子供にそのころの様子を話して聞かせる絵本「ぼくらは下町たんけん隊」を読むと浅草や隅田川沿いの道を歩いている気分になります。日が暮れるまでベーゴマやメンコに興じていました。「三丁目の夕日」の世界ですね。日本橋、京橋、神田、下谷、浅草、本所、深川を下町と呼ぶそうですが、簡単に言えば山の手線の外側でしょうか。このころの下町の様子を活写した山田洋二監督の「下町の太陽」がありました。主演の倍賞千恵子さんの主題歌が記憶に残っています。1956年度経済白書の「もはや戦後ではない」という言葉がはやり、1960年には所得倍増計画が策定され、日本が戦争から立ち直って急激な経済成長を始めるダイナミックな時代でした。

  私は東京の下町に住んだことはありませんが絵本 に描かれている情景はほぼ同じです。家の前の未舗装の道路(これが普通)に
Moon7は時折ボンネットバスやオート三輪が土ぼこりを上げて往来していました。町内を練り歩くチンドン屋さんや紙芝居屋さんのあとによく付いていったものです。バスの後部を改造した宣伝カーが「月光仮面」の主題歌を流しながらやってきたときは興奮して、それから一週間くらいその話題でもちきりでした。ボール紙でできたお面をもらいました。風呂敷に三日月の紙を張り付けて覆面のようにかぶり、マントを着けて走り回っていたと母がよく言っていました。

Moon5  家にはテレビがなく、「月光仮面」は近くの友人の家で十数人が集まって明かり を消して見ました。主人公祝十郎役の大瀬康一さんは製作予算が少なかったこともあって大部屋俳優からの抜擢だったそうです。大瀬さんはそのあと「隠密剣士」で忍者との死闘を牧冬吉さんとの名コンビで演じて忍者ブームが巻き起こりました。新聞紙で刀を作り、折り紙で手裏剣をつくって忍者やチャンバラごっこをしました。私の家の前は公園で子供たちがよく集まり歓声を上げて遊んでいるのを見ると地面に線を引いて陣取りやビー玉を思い出します。道路いっぱいにロウ石で丸が描かれていると「ケンケンパッ」と小声でケンケンしながら通り過ぎたりしています。

  このころのテレビドラマは「月光仮面」のようにストー リーが勧
善懲悪、主人公が正義の味方で1話完結しながら続くというパターンでしたからわかりやすく善悪の判断が明快でした。いまはこれがアニメでセーラームーンのようにわかりやすいストーリーは少なく設定が複雑すぎ、暴力的で理由もなく戦ったり登場人物の表情も乏しくてよくわかりません。子供の時間だった6時台はニュース番組が占め、ニュースはほんの少しでワイドショーのようなグルメや商品の紹介だったりします。 この後の時間帯はバラエティーで芸能人の学芸会になり、こどもたちが目を輝かせて観るようなテレビ番組は皆無です。いじめを助長するような極悪番組も批判されながら視聴率のために残っています。

Moon8
  いまこどもたちは情報や会話を通信機能があるゲーム機や携帯電話に依存していてグループに入れなかったり、些細なことでいじめられて、自殺に追い込まれた最悪の事態が起きています。これまでのいじめ対策は何の効果もなく陰湿化、極悪化しています。少年法の改正とか厳罰化するのも必要ですが、私たちが子供のころテレビのヒーロードラマで学んだ善悪や友情といった人間の根源的な価値観を伝えた6時台の番組の復活を望むところです。根がしっかりすれば木がすくすくと育つようにこどもたちには大人になるまでまっすぐに生きてほしいですね。
Moon6

2015年7月 7日 (火)

明日は天気に

   「てるてる坊主てる坊主 明日天気にしておくれ」と軒につるしたてるてる坊主と雨Tenki1 だれを見ながら小さいころよく歌ったものです。1週間も続けて雨が降るなんてここ何年かなかったことです。洗濯物を干したら降ってきて大急ぎで取り込み、晴れ間が見えたらまた外に出す―もう朝から3回も繰り返しています。それでも乾かないTシャツを無理やり着て、「男おいどん」のようなキノコが生えてくるのではと思ったりしています。昨年は雨が少なくてうまくできなかったトマトが今年は水分が多いのかはちきれてしまいました。果汁がたっぷりで酸味も程よく、毎朝食卓に出ます。このところの天候不順で野菜が高いので家計にもおいしいです。

  「明日天気にな(あ)れ」というタイトルの曲はシモンズ、中島
Tenki2みゆきさん、おかあさんといっしょ、ゆず・・・と個性の違ういろいろな人がそれぞれの思いを込めて歌っています。中古ショップで手に入れたMarantzのLS183とモニター用に使っているBOSEの101ITでシモンズの「風のことづて」(1973年)と中島みゆきさんの「臨月」(1981年)の同タイトル収録曲を聴き比べてみました。シモンズが明日は晴そうな「明」とすると中島みゆきさんは雨が降りしきる「暗」、シモンズの曲は「失恋」、中島みゆきさんは「失意」がテーマでしょうか、明日こそは失った淋しさを忘れて気分が晴れますようにと願っているようです。スピーカーとしてはメリハリの利いたLS183がシモンズの「晴れ」、101TLはしっとりと聴かせる中島みゆきさんの「雨模様」にふさわしい感じがします。朝と夕方、気分に合わせてモニタースピーカーを変える楽しみが増えました。

  てるてる坊主で思い出すのは「山の子」という
山の歌です。
    

           雨が降り てるてる坊主が 泣いても
     私達は 泣かないで 山を見つめる
     山の子は 山の子は 皆強いよ 

Tenki3   雨に見舞われてテントで停滞したときの定番の1つでした。多少の雨では傘をさしたり、ポンチョを羽織って強行しますが、森林限界を超える2000m以上の稜線や痩せ尾根、ガレ場や岩場、雷雨や濃霧が予想されるときはリーダーの判断で停滞か強行を決めます。3年生になるとリーダーかサブリーダーになって山行を計画してメンバーを集め実行します。山行計画にもよりますがメンバーが集まりやすいリーダーと集まらずに計画を断念するリーダーが出てきます。体力・判断力・行動力・・・山行で求められるのは地上のリーダーと同じで利害関係がないだけに人間性そのものが問われます。

  「電池を1本逆にしたら点かない。」Tenki4
  「内部抵抗として通電するから点く。」
  「鳳-テブナンの定理からありえない。」
  「等価回路を描けばわかるよ。」
  「いやいや電位差がないから。」
  「電池の劣化で電位差ができる。」
  「じゃぁやってみようか。」
  「ほら、点いたぞ。」
  「おかしい、絶対おかしい。」

  テントの中ではこんな議論が始まったり、山の話、将来の話、この日のためにTenki5 仕込んできた話で盛り上がり、その合間に山の歌の大合唱があります。日が沈むころ夕食となって気象係は先に寝て10時にNHK第2放送の気象情報を聴いて天気図を描きます。山行中はこの天気図で1日を予想して、歩きながら観天望気で雲の動きや風の流れで刻々と変わる天気を予測しながら行動します。食事係(Essen:エッセン)とこの気象係が山では楽しくて安全な山行になるかどうかの重要な役割です。私は気象係は得意でしたがエッセンは2回とも不評でした。

  メンバーが寝静まった頃、懐中電灯を片手に各地の気象現況を記入して等圧線を引き、低気圧の強さと速度から翌日の天気を予想してリーダーに伝えます。ふと、テントから顔を出すと日中の激しい風雨はすっかりおさまって雲間から星が見えます。

  「明日は晴れますね。」
  「朝は曇りで昼から晴れそうだな。」Tenki6
  「いい山行になりそうですね。」
  「明日が最高峰だからな。」
  「昼ごろに山頂ですね。」
  「そうしたいね。天気図ありがとう。」
  「おやすみなさい。」

  家ではあれこれ考えて寝られないこともあるのに山では
充実した山行の快い疲れもあって夢も見ずに寝てしまいます。人生には山あり谷ありといいますが、その道筋は私が登った山のような一本道ではなく、迷路のようになっていてどこまで行っても山頂にたどり着かない―これまではそんな人生でした。これからもたぶん似たようなものですが、道の選択肢はどんどん減ってゆくと思います。その道も崖っぷちだったり行き止まりだったりするかもしれません。それでも行くしかないのだからせめて晴れ晴れした気持ちで「あ~した天気にな~れ」と念じながら歩いて行こうと思います。
Tenki7

2015年7月 6日 (月)

限りないもやもやを・・・

  新幹線で71歳の焼身自殺がありました。マスコミのほとんどは自殺の動機になっLife1 たと思われる年金生活者の苦悩について語らず、テロの危険性や手荷持検査の是非など新幹線の安全性について過剰に反応しています。安全神話崩壊とまで騒ぐのを見るとマスコミの浅はかさを感じます。これは「事件」として扱われるのが筋なのに新幹線の安全性を損なう「事故」として問題がすり替えられています。さらに家宅捜査ではサラ金関係の書類があり、マスコミはどうやらサラ金に手を出したために生活が困難になったとすり替えたいようです。確かに新幹線での「犯行」は弁護の余地はありませんが年金生活の私はその追いつめられた心情が理解できます。それでいて人間性のかけらもない凶悪な殺人犯が本を出したことに理解を示そうとする「有名人」にはただあきれるばかりです。

  そうかと思えば紛糾している世界遺産登録で自国の案件を通したいために協力する風に見せかけて、承認されたら手のひらを返Life2 したように日本の案件には反対する―予想されたこととはいえこの裏切りは許せません。この国の品格は地に堕ちた、いやそれ以上に卑劣な国だと思いを新たにしました。関係改善は見せかけで反日は変わらない、これからも何事にも反対や介入をして困らせることだけを国策としているのだと日本は肝に銘じたはずです。軍国主義とか反省しない国だとかなんと言われようとこの国に対しては何1つ妥協せず厳しく対応して欲しいものです。

  そんなニュースを見てこれから先どうなるかという話になって・・・

Life3_2  「それで、いくらあれば満足なの。」
  「生
活に困らないくらい。」
  「できる範囲でやりくりすれば。」
 
「それがわからないから不安なの。」
  「そのうち
自分がわからなくなるさ。」
  「・・・・・」

  マクロ経済スライドとかその仕組みがきちんと説明されないまま減らされた年金、構造的な問題を解決せず増額された健康保険、Life4 介護保険、円安による物価上昇・・・。少子高齢化は増税のための常套句で一向に具体策が見えてこないまま国の借金ばかりが増えています。年金を配るだけのための年金機構に4万人以上もいてその半数が派遣、パスワードの設定などセキュリティの指示に虚偽の完了報告していたことが発覚、流出した情報の対策に税金を使い、損害は補償しないという―でたらめな年金管理の責任回避と天下りのために作ったような何の役にも立たない法人など作らずにその費用を年金に回せばどれだけ改善するかと思います。ギリシャのようにデモが起きないのが不思議なくらいです。

Life5   「また働こうかな」
  「何がしたいの。」
  「海外旅行とか。」
  「温泉で十分だよ。」
  「それもないじゃない。」
  「・・・・・」

  自分がいくら頑張ってもどうしようもないことばかり、働いていれば気も紛れるだろうけれど、どこにぶつけてよいかわからない不満や怒りが、不安を煽るように日々理不尽なLife6 出来事が続いています。こうして気持ちが追いつめられたときには「悲しくてやりきれない」(1968年)を聴くことにしています。ザ・フォーク・クルセダーズ(フォークル)は「帰ってきたヨッパライ」(1968年)が大ヒットしたその年に解散してしまい、以後それまでの歌謡曲のあり方を大きく変えたフォーク・グループとして伝説的に語られるようになりました。「悲しくてやりきれない」はスタジオ製作の「紀元弐
阡年」とこのライブの「当世今様民謡温習会」に収録されています。  このころは赤い鳥のように日本の民謡をフォーク・ソングとして取り上げるグループが多かったように思います。フォークの教祖的存在だった岡林信康さんも民謡にロックのリズムを求めて回帰しています。いまはやりのJ-POPもかつては日本の心のよりどころだった演歌や民謡を取り込む流れが起きるかもしれません。つらい時や悲しい時は日本の情緒的な歌が癒してくれます。

  Life7 「やっぱりやめた。」
  「十分頑張ったからもういいよ。」
  「贅沢な悩みだったね。」
  「受け入れるしかないこともあるさ。」
  「週3日で3~4時間なんてないし。」
  「そんな適当な人を雇うわけないだろ。」
  「そうよね、夕ご飯作るわ。」

  なかなか止まない雨も夕方には西の方から晴れてきました。
Life8_2雲が多いぶん夕焼けがとてもきれいです。若いころは自分の存在意義や生きていることの意味まで 考えて落ち込みました。歳を重ねたいまはそんな難しいことを考えても結論は出ないし、気分を変えたほうが手っ取り早いことを知り、へこむことはあっても回復に時間がかからなくなりました。若いころのようにわざわざ土砂降りの中を歩くようなことはせず、思い通りいかなくて悩んだら雨宿りをするように止むのを待てばいい。そして雲間から陽が射すように何か1つでも明るいニュースがあれば、ノン・アルコールでもいいからビールが一缶あれば、夕食に大好きなおかずが1つでも出ればいい・・・そんなささやかなことでもやもやは晴れます。このささやかな人生をこれからもずっと受け入れようと思います。

Life9_2

2015年7月 3日 (金)

雨の日こそロックン・ロール!

  今年は例年より雨が多めで九州では100年ぶりに降水量記録を超えたとか、Rock3 各地で土砂災害が危ぶまれています。それに加えて台風が日本列島を窺っています。小学校4年までは大雨になると裏のどぶが氾濫して床上浸水に悩まされていました。それで父は一念発起、家を建てる決意をして住宅融資に応募、2度目で受かり、大工の棟梁だった父の長兄に頼み込み家を建てることになりました。どこで覚えたか父は家の図面を引いて家族に見せました。当時は平屋が多く珍しかった2階建てに新居で過ごす夢を膨らませました。

   今ではほとんど見られなくなった棟上げの時の餅まきにRock4 は近所から人が集まって一緒に撒かれた小銭を拾っていました。日曜日には母に連れられて大工さんに茶菓を出すのを手伝いました。姉と2人で2階の床を走り回りよく叱られました。約1年かかってようやく完成。兄が借りてきたトラックに家財を積み込み終わったと思ったら、お雛様が棚に残っているのを忘れて大慌てで積み込み約10Km先の新居に出発しました。

  新居では就職した
Rock5ばかりの兄がリーゼントをばっちり決め、バンドを組んでい たらしくスチールギターを買ってきて弾いていました。60年代でしたからロックンロール(ロカビリー)の全盛期。ポータブルプレイヤーで「Oh!・キャロル」や「恋の片道切符」を何度も聞かされ「オオキャロアイムバタフールダーリンマラビュー」とか「チューチュートレインチャッキンダマツルゥー」と意味不明ながら歌詞を覚えてしまいました。今振り返ると兄は夜間の大学受験の勉強を続けていて、それがままならなくなったことや、そのころは当たり前のように「長男は家督を継ぎ、家計を助けるものだ」と父に言われていましたから、やりきれない鬱憤を音楽で晴らそうとしていたようにも思います。

  そんなロカビリー好きの兄を思い出したのはあRock2
温泉街を訪ねる旅番組で60年代の音楽ばかりを生演奏で歌って踊るダンスホールが紹介された時でした。ポニーテールに水玉模様のワンピース、リーゼントに肩幅が広めのスーツと細めのネクタイ。80年ごろのリバイバルブームに乗ってその雰囲気を再現したようなバンド、ザ・ヴィーナスのアルバム「PARTY Rock'n Roll Tunes Forever」(1981年)を聴きました。「砂に消えた涙」、「ロック・アラウンド・ザ・ロック」、ラストのヒットパレードメドレー13曲―これだけでも十分でもう感激です。

  兄とは10歳ほど離れていましたので遊ぶことはほとんどなく、引っ越したころには夜勤で話すこともなく、いつか家を出てしまいましたから高校に上がるころにはお盆と正月くらいあいか顔を合わせることもありませんでした。ただ、気にはしてくれていたようで浪人して受験した大学にことごとく落ちたとき電話がかかってきて励ましてくれたことをずっと忘れずにつらい時はこの言葉を思い出して乗り越えてきました。

  「長い人生だからいろいろあるよな」
  「うん」
  「一生懸命頑張ったってだめなこともあるよな」
  「うん」

Rock6  「だけどな、考えても見ろよ
    これからのほうが長いんだぜ」

  「もうこれで終わりだよ」
  「確かに終わったな」
  「明日から働くよ」
  「けどさ、1年なんて一瞬だよ」
  「それが一瞬で終わった」
  「長い人生で1年なんて一瞬だよ」
  「そうなんだけど」
  「2年、3年かかったっていいじゃないか」
  「家族に迷惑がかかるし」
  「そんなこと気にしないことさ」
  「・・・」
  「自分の人生なんだから大切に、な」
  「もう少し考えてみる」

Rock7   何年か前に亡き父の法事で会ったとき自慢のリーゼントが真っ白で、パチンコで生計を立てたこともあるという兄は職を転々とし、その様々な経験が深いしわを刻んでいました。長年の持病のために病院通いだと自嘲気味に話していました。こんなときこそ兄からかけられた言葉をかけてあげたい、家族が同じ1つ屋根の下に暮らせたら・・・と言いたかったのを飲み込みました。お互いにこれまでよりこれからのほうが短くなって明日はどうなるかわからないし、あまりにも時が経ちすぎていました。

   「おいおい、そんな梅雨みたいに曇った顔をするなよ。雨の日こそロックンロールだぜ。」

  窓打つ雨のしずくを見ていたら、そんな兄の言葉が聞こえたような気がしました。

Rock1

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