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2014年11月

2014年11月29日 (土)

いつも心に灯を

  高倉健さんの訃報にまさかと思いました。つい最近まで映画「あなたへ」の撮Ken1 影をしていたとニュースか何かの特集で見ていたからです。映画では不屈の健さんも病には敵わなかったのがとても残念です。まっすぐな「男」を演じた映画は「背中で泣いてる唐獅子牡丹~」の任侠ものより「八甲田山」や「幸福の黄色いハンカチ」の悲哀に満ちてじっと耐える健さんの方が好きです。

  追悼番組で高倉健さ
Ken2んの映画を観て歌声を聴きたくなったのですがLPは 残念ながら持っていないので共演した倍賞千恵子さんのアルバム「さくら貝の歌」(1971年)を聴きました。SKD出身だけあってその伸びの良い澄んだ声で音楽の花園に引き込まれてしまいます。「幸福の黄色いハンカチ」のラストシーンが感動的でした。

  このアルバムにある「心の窓に灯を」を聴くと
藁葺き 屋根の傾いた家で寒い冬にすきま風に凍えながら家族5人が身を寄せて暮らしていたころを思い出します。朝になると洗面器には氷が張り、庭先は霜柱が立っていました。昭和30年代、いまから比Ken3べるとずっと貧しかったけれどみんな明るく、じっと耐えればいつか夢が叶うと信じていたし、実際に年を追うごとに生活が楽になりました。それもバブルがはじける90年代までで、夢の無い時代がずっと続いています。将来に夢が持てない若者が多いようです。それは私の世代も変わりませんが束の間でも夢を見られただけ増しかも知れません。

  健さんは耐えたその先にどんな夢を見ていたのでしょうか。断片的に伝わってくる素顔は共演した人たちが言うには隅々までKen4 心配りをするその為人です。名優といわれながら少しも偉ぶらず接していたそうですが演技となると殺気を感じるほどだったと映画監督は回想していました。それだけ役に打ち込んでいたのでしょう。健さんほどではありませんが私も怖いもの知らずだったころ、上司やマネジメントと差し違える意気込みで意見したことがあります。怒り出す人もいれば軽く受け流されたり、無視されることもありました。気がついたら健さんのように慕われることも無く、1人で仕事をするポジションになっていました。そのころはたった1人でも会社を変えることができると本気で信じていました。

  けれど演技が下手だったせいで多くの人を感動させることなく
、アンコールも拍Ken5 手すらなく、30余年思い続けたラストはあっけなく幕が下りてしまいました。それからしばらくネバーエンディングストーリーのように虚無によって夢がどんどん破壊されるそんな日々が続きました。いまでも時々ありますが日付も曜日も分からなくなりました。そうした混沌から救ってくれたのは友人であり、家族であり、自分自身でもありました。そこで身につけたのは予定を立てて、約束して実行することでしょうか。何を・いつまでに・どれくらい実行するかです。

  こうして今では生活にリズムが戻って来ましたが、夢も希望もない風前の灯火のような時代、どうやって生きていきましょうか。健さんのようにじっと耐えるなんて私には無理です。たぶんダメだと分かっていても予定を立てて小さな夢の灯を掲げて足元を照らしながら一歩一歩ひたすら歩いて行くしかないと思います。そうすれば「希望がほのぼの」湧いてくると信じています。
Ken6

2014年11月13日 (木)

魔法にかけられて

  BSプレミアでたまたま「魔法にかけられて」(2007年)という映画を観ました。シMagic1 ンデレラと白雪姫とサウンド・オブ・ミュージックの現代版みたいなストーリー。ディズニーの夢と現実の世界をごちゃ混ぜにしたようなドタバタ劇で「愛」がテーマのわかりやすいあらすじ。人を愛することはさほど難しくないけれど、それをこの映画のようにまっすぐに伝えることは何て難しいのだろうと思いました。同じように誰でも夢を見るのに実現はとても難しい。夢を現実に、現実に夢を与える-そんな魔法があったら素敵ですね。

  映画や映像の世界ではここ数年でグラフィックMagic2 技術が急速に進んで
、映画はアニメと区別が付かなくなってきています。描写力さえあれば夢は映像になる-夢を見なくなった、夢と現実の区別が付かなくなった-そんな時代でしょうか。それで魔法はもういらなくなったかと思えばハリー・ポッターのテーマパークがたいそうな賑わいだといいます。数時間でも現実を離れて夢の世界に遊びたい、その気持ちはいくつになっても変わりません。むしろ現実が限界になる歳を取るほどに強くなるように思います。

  そんな限界を感じた時は思いっきり宇宙の果てまで飛ばしてくれるスペクトラムMagic3 の「イン・ザ・スペース」(1979年)が収録されている"RUN FINAL/SPECTRAM6"(1981年)を聴くことにしています。イメージが似ているので和製アース・ウィンド・アンド・ファイアといわれましたがロックバンドのシカゴの影響を受けたそうです。ブラスロックというジャンル、トランペットとトロンボーンを加えた派手なバンド編成、ファルセットのボーカル、奇抜な衣装を着けて歌うスタイルが注目されました。当時は異質な感じでヒット曲にも恵まれずわずか3年で解散してしまいました。
米米CLUBやサイコロシェームに 雰囲気が似ているのでいまなら受けるかも知れませんがそのグローバルに通用する音楽性は全く別物です。デビューが早すぎた、そう思います。

  早すぎたといえば日本の製品や技術についてい われることがよくあります。たとえば現在は当たり前になったアイコンでPCを操作す
Magic4るGUIは1980年頃に使ったことがあります。本家のApple Macに比べ、とても遅すぎて使い物になりませんでした。キャラクタベースのOSではどうしようもなく、それはいまも文字や絵が混在する文章の編集で感じます。そのOSも当初はMS-DOSとCP/Mがありましたし、Basicはメーカーの数だけありました。それから30年あまり、適者生存の法則でCPUもOSも淘汰されましたがその結果は単にメジャーだからという以外に取り柄はなく使い勝手は決して満足できるものではありません。しかしその不満は新製品が出るたびに少しずつ解消されるのでますますメジャーになっていくように思います。

  日本のメーカーは品質や性能は良いのですが互換性が国内でも国外でも全くMagic5 ありません。それがメジャーになれないただ一つの理由だと思うようになりました。メジャーの囲い込みや排他主義も範囲が広いだけで同じですが、日本の場合は細かく狭く、携帯電話やカメラは買い換えるたびに充電器が変わり、ノートPCはメーカーごとにACアダプターの規格が違います。USBのような単純な構造でさえ数え切れないほどあります。日本が最先端だったVHSベータのようにDVDが規格が乱立してCDほど早く普及せず  ブルーレイも同じ道をたどっています。

  数日前、地デジチューナーのACアダプターを購入Magic7_2 したところ型番が同じなのに口金が違い使えませんでした。3日くらい間を空けて何度もサポートセンタ-に電話してやっとつながったと思ったら「型番は同じですが角に書かれている品番が違う」との回答。同じメーカーの同じ製品系列でさえこんな状況です。メーカーの設計者はいったい何を考えて仕事しているのでしょうか。日本企業はお客様を大切にするといいますが私がこれまでに使った電気製品に関してはあてはまりません。すでにACアダプターは段ボール一杯あります。

   メーカーは自社の利益のために必死なのでしょうけれど消費者にとってガラパゴス化は迷惑きわまりません。そうやって国内のメーカー同士が争っている間に海外メーカーがコストを大幅に下げて市場を奪って行きます。何度不毛の規格争いを経験すれば学習するのでしょうか。かつてのように独自の進化なら良いですが総論賛成・各論反対、責任の所在が不明、決断力の無さと遅さ、横並び主義、事なかれ主義の体質でどんどん退化しています。そんな遺物は宇宙の果てまで飛んでいって消えて無くなってほしいと思いつつ、今日も相変わらず魔法のように消えたACアダプターを探しています。 
  Magic6_2

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