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2015年1月

2015年1月22日 (木)

夜明けを待ちわびて

  冬は日の出が遅くて4時ごろ起きてもまだ外は真っYoake7 暗闇です。いまごろはちょうど受験シーズンに入ったあたり、真空管ラジオで旺文社の受験講座を聴いたあと由紀さおりさんの「夜明けのスキャット」(1969年)で始まる「真夜中のポエム」で一息ついて、オールナイト・ニッポンやパック・イン・ミュージックの深夜放送に励まされ、毛布にくるまって追い込みの勉強をしながら遅い夜明けを待ちわびていました。そのあとの学生生活より、この浪人の1年のほうが長く、どんなに待っても明けないのではと思いつめてました。

  浪人が決まってからぼんやりしていたところ心配した家族が手続きをしてくれてYoake6 予備校に電車で通いました。けれど、どんなに頑張っても模試の偏差値はC判定。
夏休みを過ぎたあたりからしだいに足が遠のきました。それからは深夜に起きて何度も何度も同じ問題を解き、雨戸を締め切ったまま昼ごろ起きて夜を待つ-高石ともやさんの「受験生ブルース」(1968年)を地で行くそんな日々が続きました。願書を出すために学校を訪れ希望する受験校を相談しても考え直すように言われました。いまは共通一次試験があるせいでしょうか競争率は一けた台ですが私が受験したころは10倍から40倍という大学がざらにありました。それに加え「滑り止め」をいくつも受験するため、さらに厳しい状況でした。問題自体もクイズのような難問や珍問があって、解く順番を間違えると時間切れになりました。

  受験者数は70年代の40万人が現在では60万人に増え、浪人の比率は40%から20%に減っているそうです。  今年はゆとり教育世代の最後のYoake5_4 年になり、浪人にはますます厳しくなります。そのゆとり教育ですが授業時間が減って週休2日になったぐらいで、詰め込み教育の弊害が改善されたわけではないように思います。先生方の仕事が減ったかといえばそうではなさそうで、生徒の質も変わり、モラルも下がり、陰湿ないじめは無くならず、モンスターペアレントのような自己中心的な親が増え、その対応にも心身を消耗しているようです。予算削減のつじつま合わせで1学級の定員を増やし、学校の統廃合をして追いつめておきながら学力の向上を要求する。この国の支離滅裂な政策は今始まったことではありませんが矛盾が大きくなり赤字が際限なく増えていると感じるのは私だけでしょうか。

  ならば、私たちの時代がよかったかというと決して良いとは言えず、教育環境はいYoake4 まと比べようもありませんでした。冬はダルマストーブ、夏は汗だく、プロジェクターとかはなく板書。50人クラスが普通、体罰は日常茶飯事、いじめはひどく脅しや喧嘩は多く、教師は十年一日のような内容を一方的に与える授業しかせず、教材やテストは暗記物のドリルのようなものばかりで不得手な私は超えられない壁に取り囲まれ真っ暗闇の中にいました。それでも進学できたのは偶然としか思えないのです。大学の4年間はさらにひどい状況で教授や講師は教えようとする努力を全くせず、テストは授業と全く関係がない論文や暗号のような数式のかたまりでした。それでも軽々と乗り越えてゆくクラスメイトがいましたから闇はもっと深くなりました。

  会社に入ってもいろいろな細かいルールや仕事の手順とか覚えなければならず苦労しました。それに加え、月に一度業績を社長のYoake3 前で発表し、厳しい質問に数字で答え、その問題と原因、解決方法、予想利益などを一字一句間違えずに答えなければならず業績会議のある月末は眠れない夜が続きました。棚卸や損益分析表、決算書などは一度も習ったことがなく、足し算引き算だけなのに計算が合わずなぜこんなに難しいのかと思いました。サラリーマンがお金をいただけるのはお金の計算がきちんとできるように仕事をすることなのだということを実感しました。平社員には責任だけがあり、権限を得るには責任以上に業績を上げて上位を目指さなければならない-しかもそれがどんな方法でも構わないのが会社です。1つ対応を間違えれば次の日から路頭に迷うことになるかも知れない世界です。

Yoake2   そうした闇から脱しようと転職を繰り返しましたが闇が深いか浅いかで、希望の光に向かいながら何度も闇の底に落ちました。38年間闇夜をさまよい、定年でやっと明るい世界に戻り、疲れ果てた心身を回復するのに2年もかかりました。利害関係のない友人がたくさんできました。

  「もう失うものは何もないから好きなこと言えるよね」

そんな風に話して大笑いしました。
それは何回来るかかわからないけれどこれからの夜には必ず朝が来る、当たり前のことがとてもうれしい日々に感謝です。
Yoake1

 
 

2015年1月16日 (金)

Grace Period(猶予期間)

  定年後2年ほど仕事関係の会員登録していて昨年12月に退会したのですが1月になってもメールが届くので確認したところ

   Your membership is in a grace period until.....

と回答が来ました。graceにはアメリカの第2の国歌ともいわれる
Amazing Grace1 Graceに歌われるように親 切、上品、神の恵みなどとても優しい意味があり、転じて好意的な支払いや仕事の猶予を表すのだそうです。このメールに「有用な情報をたくさんいただいてあ りがたいけどもう現役を退いたので活用するチャンスがないから送信は止めてください。私は人生の猶予期間に入りつつあるから残された時間を楽しく過ごすこ とにしました。」と返信しました。

  返信した後で「人生の猶予期間」と 書いたものの、何をいつまでどれくらい「猶予」されるのか
Grace4、目標設定大好き人間はどうしてもその答えを考えてしまいます。死を意味するなら死刑囚のように暗くなってしまうし、天国(地獄)行きを意味するなら教会で祈りをささげ、お寺で念仏を唱えなければなりません。どちらでもないなら占い師に聞けばそっと教えてくれるかもしれません。それとも不安に駆られた若いころに本で読んだ「アガスティアの葉」に助けを求めましょうか。

  「猶予」を表す言葉としてラテン語の「モラトリアム」もあります。こちらのほうはGrace3 金融恐慌の回避策として支払いの猶予のように同じ意味もありますが、北爆の一時停止とかあまり良い場面で使われません。心理学的には社会に出て「おとな」 と認められるような言動を備えるために認められる猶予期間が転じて「おとな」になるのを拒む引きこもりやニートを意味するようになりました。しかしこれは おとな=立派な社会人という一面的な見方で、社会に出て仕事するだけを「おとな」と決めつけるからだと思います。人間の価値観や可能性はもともと多様なの だから古臭い「おとな」の枠にはめず、「こども」のような夢や冒険心を
受け入れる「社会」やそうした「社会」と決別して自分から立ち上がる「こども」がいてよいと思います。

  私の世代では一流の大学に入れば一流
Grace2の会社で裕福な暮らしができるという価値観が支配的でした。それがいまとなっては安定した暮らしや老後の心配がないのは私の知り合いの中では役人ぐらいしかないと思います。入社したらブラック企業と変わりない仕打ちを受けそれを乗り切って出世した人もいれば私のようにそれが嫌で転職を繰り返した人もいます。仕事か家族か迷った末に何十年も勤めた会社を辞めて畑仕事に精を出す人もいます。年に一度、忘年会や新年会で会う友人はそんな過去のことは忘れたように充実した毎日を熱く語ってくれます。

「去年は雨で行けなかったけど、今年は北アいくぞ。」
「いいねぇ。夏だったら俺も行くぞ。」

 「涸沢から槍に直登して奥穂だな。」

 「体力的に大丈夫か。天気も心配だしな。」

 「おまえ、ジジィみたいなことを言うなよ。来なくていいぞ。」

 「まぁ、そう言うな。山は変わりやすいから慎重に頼むよ。」

 「もう、登れるのも長くないから、山で終わってもいいじゃない。」

 「そうなんだけど、やり残したこといっぱいあるし。」

 「あれだけ無茶してまだ何か残っているのか。」

 「俺はないけどな。カミさんと一度は登ってみたいんだよ。」

 「なんだ、俺んちなんか誘わなくてもついてくるぞ。」

 「山姥と一緒にするなよ。」

 「山姥はないだろう!山姥は。ちょっとは似てるが。」

 「おまえは単身赴任が長くていつも一人で登っていたからな。

 カミさんもおまえも淋しかったろうよ。わかるような気がするよ。」

 「山賊と山姥でもわかるか。そうなんだ、罪滅ぼししたいんだよ。」

 「その口の悪さだけ何とかならないか。カミさんおまえに

 もったいないくらい美人でいい人なんだから。」

 「おっ、まだ恨んでいるのか。いい加減にあきらめろよ。」

 「まぁまぁ、2人とも今年は夫婦で登れるような山にも行こうよ。」

 「そうだな。やっぱりリーダーだな。ありがとう。みんな、頼むよ。」    

Grace6 やり残したこと-それが完了するまでが与えられたこれからの人生の猶予期間なのかもしれません。50周年を迎えてなお輝きを増す若大将の5枚組のアルバム「加山雄三20周年記念アルバム」(1980年)をじっくり聞いてGraceな気分になりましょう。猶予期間が長くても短くてもいいじゃないですか。それは明日かもしれないし、何十年も先だって1つでも多くできることをして、加山雄三さんのように自由奔放に生きていけば。

Grace5

 

 

 

2015年1月 3日 (土)

現在(いま)を信じて未来を拓く

 年末に1年の締めくくりとして九州の温泉を巡る旅(弾丸ツアー)に行ってきました。初Dazaifu1 日から日程がハードで朝5時起き、朝食はコンビニのパンで羽田に向かう途中で済ませ、10時のJALで北九州空港、すぐにバスに乗り、車窓の景色を見ながらシュウマイ弁当を食べ終わると「花子とアン」の詩人白蓮さんと「政略結婚」した伊藤伝右衛門の旧宅に到着。その広さも然ることながら贅を尽くした造りに感嘆しDazaifu2 ました。2周したところで見学時間が終わり、九州横断道路を大分に向かい別府に早めについたので近くのスーパーで買い出し、夜は冬には珍しい花火のプレゼントがありました。

  バスはそのあと湯布院、阿蘇山、長崎、柳川とめぐり、旅の終わりは太宰府天満宮でした。言わずと知れた学問の神様・菅原道真公を祀った神社です。さだまさしさんのセカンドアルバム「風
Dazaifu5見鶏」(1977年)に収録されている「飛梅」は道真没後に一 夜でこの地に飛んできた梅にまつわる伝説に想いを寄せた曲。「縁切寺」の太宰府バージョンともいえる曲調で「思い起こせよ梅の花」の飛梅に託して将来を約束したかに思えた恋が結ばれなかった切なさ、もう戻らない人への思慕を歌い上げています。

  この曲中で歌われている心字池の3つの橋を渡りました。手前1つめが「過去」で振り返らずに、2つ目の橋は「現在」で立ち止まらず、3つ目の「Dazaifu3 未来」は躓かずに進むとガイドさんに説明され、その通り小学生のように素直に渡りました。渡りながら現実の人生は過去を振り返ってばかり、現在は立ち止まることはしばしば、未来は思わぬことで躓く-それを戒めるための橋なのだと思いました。

  この橋は仏教の教え「三世一念」の考え方に基づいているのだそうです。「三Dazaifu4 世」とは過去世、現在世、未来世を示します。時間は過去から未来へ流れていますが、未来から現在へ流れ、それが過去になるとも言えます。未来は現在という実像に光を落とし、その影が過去になる、そんなイメージでしょうか。人生を変えることができるのは現在をどう生きるか、自分を信じて今を生きる「一念」にかかっている-もし現在に不安や悩みがあるとしたらそれをDazaifu6 取り払うのは現在の自分を信じて生きるしかないと説きます。未来は現在の延長ではなく、現在は未来も過去も含んでいてそのありようが未来を変え過去を変える-今をどう生きるかが未来を作り、過去としてその結果が残されてゆくということなのだと思います。

  今度の旅では忘れてはならない過去の思いを新たにしました。それは長崎にDazaifu8 落とされた原爆です。私たちの国は戦後70年にもなる「現在」中国や韓国から戦争の償いを要求されています。戦勝国アメリカは非人道的な原爆について謝罪するどころか終戦のために必要だったと強弁を繰り返しています。戦争に勝てば償いは必要ないのでしょうか。負けた国はいつまで償えば許されるのでしょうか。人を無差別に殺してしまうから戦争反対というのはもっともですが、戦勝国がこうした非人道的な行為を正当化し、真実をゆがめ、それを政治の道具にすることがもっと問題なのではないでしょうか。帰りの飛行機から眼下にどこまでも広がる青い空と海を眺めながら平和の本当の意味を考え続けました。

Dazaifu7

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