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2015年5月

2015年5月16日 (土)

信じて そして待つこと

  療養中 、久しぶりに本を読みました。小学校5年に学級活動として図Yakusoku1書館係になったとき、新刊が入ってくると分類ードを付けたラベルを張って書架に入れたり、返却された本を整理したりしているうちに教科書に出てくるような文学書とは違う―空想科学小説という分野があることを知り、そのシリーズを夢中で読み、それが本好のきっかになりました。そうして空想の世界が広がり、ロビンソンクルーソーや十五少年漂流記のような冒険小説にはことさら心を惹かれました。

  小学校を卒業する昭和39
年(1964年)は オリンピック開催で盛り上がり、新幹線が開通、奇抜なデザインの競Yakusoku2技施設が立ち並び、東京は近代的な都市に様相が一変しました。そのころ発行されたオリンピック記念切手がきっかけで切手を集め始めました。友人から買うことも何度かあり、鳥シリーズのライチョウを60円(額面10円)で買ったことを母に言ったところ、その友人宅まで行き差額をとり戻してきました。売ったお金で無線操縦の模型飛行機を作るのが目的だったの友人とは市価よりも安い値段で買い取ったことで友人関係がぎくしゃくしたこともありました。

  高校を卒業したころには切手に対する興味がなくなってコレクションは押し入れにずっとしまっ Yakusoku4_2 たままで、5年前に実家を解体するときに思い出してスクラップブックを探し出して開くと見覚えのない切手が増えていて、その後も母が買い続けていたことを知りました。それから収集を再開、毎月のように発行される記念切手を買うのは無理なので、
浮世絵や日本画を題材にしたきれいなデザインの切手を選んで集め続けています。日本郵便(JP)が民営化されてからアニメやキャラクターやご当地切手などデザインが多彩になってきました。

  東京 オリンピックがあった1964年に姫路城の「昭和の大修理」を記
Yakusoku5念したセピア色のシンプルなデザインの切手があります。その姫路城が今年、白壁がよみがえった「平成の大修理」を完了したのを記念して兵庫県の日本郵便支社から3月にオリジナルフレームで販売しました。JR東京駅の100年記念SUICAと同じように即座に完売となって急きょ増刷を決めたようです。案内書によれば通信販売では売らないと書かれていますので兵庫県以外では入手困難です。こうしたところはJPもJRも商売っ気が感じられません。ネットで申し込んだ記念SUICAが入手できるのは来年3月になるそうです。

  Yakusoku7 JPにしてもJRにしても窓口は
かつてのお役所みたいな感じは失せて、困っていると案内専門の人が来て丁寧に説明してくれて、どちらも対応が格段によくなりました。ただ郵便については荷物のサイズや重量の規定が面倒だし、JRについてはチケットの払い戻しが発券駅でないとできないとか、みどりの窓口に行かないと買えないチケットもあって、いろいろ理由はあるのでしょうけれど他にも融通を利かせてほしいと思うことが多々あります。

  今日は「十五少年漂流記」の書名にちなんだと思われるさだまさしさんのYakusoku3 アナログ盤としては最後となっ た「十五周年漂流記」(1989年)―NHK「ゆく年くる年」コンサートLIVEの模様を収録―を思い出したので聴いています。このころは長編映画「長江」の借金35億円の返済の真っ最中で
オープニング曲「夢と呼んではいけない」の歌詞にあるように「いつかは必ずよくなると信じて待つ」―それが約束―それこそが生きてゆく糧になるのだと自身を励まし、「声を出して泣きたい」心境で独り悲しみを抱きしめていたように思います。そして30年かかって借金を完済、みごとに「約束」を果たしました。

  それに引き換え、この国の借金は一千兆円を超え、
国民一人当たり850万円と巨額にもかかわらずさださんのように返済を「約束」するどころかさらに借金を重ねようとしています。もうこの国には夢とか希望とか期待のようなあいまいな要求をするのではなく、それらに日付を入れて約束させることだと思います。はっきりといえない事情もあるのでしょうけれど国のあいまいな言動を許す限りいくら待っても約束された未来はありません。自分たちの考え方に賛同するのが「国民」だと思い込んでいるこの人たちの美麗字句で夢や希望や期待を連ねた公約とかマニュフェストのような代物は嘘とわかっていますから信じるのはもうやめましょう。
Yakusoku8

2015年5月15日 (金)

ありふれた日々の大切さ

  ちょっとした不注意からけがをして入院、自由に歩き回ることができないので思Higrashi1 いつくままレコードを引っ張り出して聴いています。けがさえしなければ今ごろは近くの川沿いのサイクリングロードを風を切って走っていただろうし、街に出てお気に入りの店で買い物をしていたとやりきれない気持ちになります。かといってけがを早く治す方法はこうして五月晴れの空を見ながらじっとしているしかない。夏が近いからとTUBEの「Summer Dream」(1991年)をかけたら前田亘輝さんの素敵なバラードにのせられて無性に海に行きたくなって逆効果になってしまいました。

  かぐや姫なら何とか落ち着くとHigrashi2 思い「はじめまして」(1972年:第2期かぐや姫ファーストアルバム)をかけたところ「僕は何もやってもダメな男です」(1972年)で笑ってしまいました。南こうせつさんの軽快すぎるカントリーポップはやはり合いません。3枚目にようやく日暮しの「ありふれた出来事」(1977年)にあたりました。淡々としたタイトル曲もいいですがちょうど今ごろの季節、
榊原尚美さんのジョーンバエズのように透き通った声で歌っている「いにしえ」と「日傘」がいいですね。夏の日の陽炎のような束の間の恋とそれが消えた祭りの後の淋しさを美しい風景を切り取ったように伝えてくれます。

Higrashi3   70年代は不況とはいえ企業の正社員がほとんどで終身雇用のため給料は年々目減りしたけれども生活には困らなかったと思います。それが80年代後半に入ると人材派遣が法制化され90年代のバブル崩壊でリストラ=首切りが始まり終身雇用制度が実質的に消滅しだすと多くの企業が非正規社員を正社員の代わりに雇うようになりました。それが2008年のリーマンショックでさらに加速され、正社員として定職に付けない人たちが増え、生活に困窮する人が激増してゆきました。

  いまどきのありふれた生活は父親は会社でリストラにおHigrashi4 びえながら上司のパワハラに耐えながら仕事をして、母親はフルタイムのパート、子供たちは学費稼ぎでアルバイトか、就職先がブラック企業で長時間労働やノルマを強いられている、就活はその時期を巡って混乱し数百社を受けても決まらないか、内定をやっと取れても反故にされることもある、そんな明日はどうなるかわからない状況が続く中では以前のような穏やかな生活には当分戻れそうにありません。心身ともに疲れ切った人たちで満ちています。

  私の70年代はクビににこそなりませんが今と状況はあまり変わりなく朝から深夜まで働いても安月給だったのHigrashi5 でごく普通のありふれた生活など望むべくもありませんでした。けれど、そんな中でわずかながら良い思い出として残っているのが会社の年中行事の運動会で職場のチームの応援団長になったことでしょうか。チアーガール姿で「ひょっこりひょうたん島」に合わせて踊ったり、後輩と一緒に学生服にたすきをかけて三三七拍子をリードしたりしました。学生時代にワンゲルの合宿で打ち上げの余興がこんな場面で生きるとは思ってもみませんでした。それまではとっつきにくい人間と思われていたのがこの日を境にいろんな人から声をかけてもらえるようになりました。こうした全社的な行事をする会社は少なくなったようですが、コミュニケーション不足といわれる若い人たちにも参加しやすい形で復活させてほしいと思いますね。 

  最近、各社の決算報告によると企業によって明暗が分かれてHigrashi7 いるものの、おおむね収益が向上しているようですから適切に利益が分配されてマネジメントばかりが高い報酬を得るのではなく、格差がなくなるように社会全体に広まるといいですね。できればそれを資金にして会社を立ち上げたり、海外に飛び出す若者たちが増えるといいなと思っています。今の時代、待っていないで攻めていくことが必要だし、人に使われるよりリードしたほうがよいし、
たまたま日本に生まれただけで活躍の場は日本とは限らないですから、もっと世界に目を向けてほしいものです。それがありふれた出来事になる時代なのだと思います。
Higrashi6

2015年5月13日 (水)

獨自一人作夢

  連休で久しぶりに帰ってきた娘が山口百恵さんの「秋桜」(コスモス)を聴きたいTeresa1 というので、「THE BEST山口百恵」(1979年)をかけました。「やっぱり違うよね~」というので理由を聞くと、テレビの歌番組でこの歌をカバーを聴いて納得がいかず、YouTubeでオリジナルを聴いたらまったく雰囲気が違うと気が付いたそうです。百恵さんがデビューしたころはアイドルブームでルックスだけでなく歌唱力は抜群の実力派ぞろいでした。そんな70-80年代のJ-POPを聴きたいと思うのですがそのころの懐メロ番組はフォークばかり。それにテレビ出演を拒んでいた人たちが難しそうな顔をして歌うのも飽きてきました。

  懐メロでも毎年5月8日になると必ずどこかのテレ
ビ局で放映されるテレサテンさん特集はいつもいいなと思います。今年はTeresa220周年といこともありBS3 局で2時間番組がありました。ただ、残念なのは生い立ちやインタビューとか不要な解説が半分くらいあって歌っている曲が少なく重複もあることが不満です。それに画質も音質もいまひとつ・・・ということでやっと手に入れたアルバム「つぐない」(1984年)を聴くことにしました。テレサさんの歌はどれも古き良き時代の日本の女性像ー男の身勝手なわがままを静かに受け入れて身を引くーを体現しているようでした。けれど実生活では民主化運動に加わるなど強い女性だったようです。

    獨自一人作夢  夢を見るのもひとり
  
  後年は体調を崩して
華やかな世界を去り、Teresa3 ひっそりと過ごした静養先で42歳の生涯を閉じた彼女のかなわなかった夢は何だったのでしょうか。民主化を訴えた国は目覚ましい経済発展をしたものの粛清や混乱が続き、残念ながらその夢はいまだ遥か彼方にあるように思えます。彼の国はまた隣の国と示し合わせて謝罪と償いを事あるごとにつけて執拗に要求しています。日本は戦争に負けて何もかも失って、懸命に復興を果たし、賠償も済んでいるのに歴史認識として罪の意識を持ち、態度で誠意を示せというわけです。もうこんな国は相手にすべきではないと思いますね。「つぐない」にも限度があると思います。

 「つぐない」といえばクレーム処理に明け暮れた日々を思い出します。今でこそ日本の品質管理は素晴らしいといわれますがTeresa4 70-80年代は作れば売れる時代で、大量生産の傍ら、大量に不良もありました。品質管理とは名ばかりで選別してよいものを出荷するのが普通でした。その選別が不十分で、納入先にたびたび選別に派遣されました。長い時で1週間、
軟禁状態だったこともあります。選別だけでなく、ラインに入れられて作業することもありました。転職先では入社直後、定職がないので選別要員として毎月のように出張していました。

Teresa5 日本の製品の品質が良いのは品質管理が良いのではなく、 高い技術力に裏付けられた設計品質が優れているからだと確信しています。検査しなければ出荷できないような製品は品質が良いとは言えません。品質管理で品質が良くなるのではなく、問題を発見して設計にフィードバックして改良するから品質が良くなるのです。TQCやISOで品質が良くなるのではなく、品質が良くなる仕組みを作り適切にマネジメントするから良くなるのです。現場で努力されているひとには敬意を表しますが改善で仕事が楽になるのではなく、本来は楽に仕事ができるように製品とその製造プロセスを設計すべきなのです。そういう意味で不十分な設計を補う現場の人たちの努力をもっと評価すべきなのです。

 品質管理で不具合を発見しても放置するので クレームに発展してしまうケースが多いのです。クレームに対応したからといって顧客満足度が上がるわけでもありません。問題を起こすような会社の製品は対応が良かった
Teresa6としても二度と買いたくないのが本音です。また、データの取り方や質問の根拠や解析プロセスがあいまいな顧客満足度調査など何の意味もありません。そんなに知りたければ購入した顧客の声を直接聞くのが一番です。顧客の声を聞いて製品やサービスに反映しなければ、それもまた無駄です。結果に対して何もしない顧客満足度調査は自己満足に過ぎません。そんな時間があったら製品設計にもっと労力をかけるべきです。

 
            獨自一人喝酒  お酒飲むのもひとり

  ここ数年の不況でメーカーの多くのエンジニアが理不尽な処遇を受け会社を去ったといわれています。モノづくりの危機なんて言われている割には現場はコスト削減を優先して製品開発に時間がかかるエンジニアからリストラしていたつけが回ってきて好景気になっても業績を回復できないでいるのだと思います。夢を形にするのはエンジニアの仕事ですから、それを奪えば夢がなくなります。このごろはあまりお酒を飲めなくなったのでノンアルコールビールで気を紛らわせていますが、昔のようには忘れたい現実を忘れられないでいます。

Teresa7


 

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