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2015年7月

2015年7月14日 (火)

あつい夏が、夏が走る

  梅雨の切れ間なのか明けなのかいきなり真夏日になって気温は33度。32度Kan2 までアイスコーヒーやノン・アルコールビールで凌いでいたけれど、ボーっとした頭に熱中症が過り、我慢できずにクーラーをつけてしまいました。25度でも暑いと感じていたのは10年前。それから毎年1度ずつ上がる感じでとうとう30度を超えるようになりました。25度が涼しいくらいです。北に位置するのに37度を記録した北海道はどんな様子なのでしょうか。ワンゲルで色丹半島の暑寒別岳から雄冬を歩いたときは夏でも朝晩はストーブを焚いていましたから信じられない暑さです。

  こんな暑い日を「かんかん照り」とよく言います。「かんかん」が何を意味するのかを調べてみました。一般的な辞書では暑さが厳
Kan1しいさまと しか説明されていません。さらに調べると漢字の「干干」ではないかという説を見つけました。干ばつの「干」ですね。ついでですから適当な感じを当てはめてみました。「汗汗」―汗がたくさん出る、「缶缶」―ビールをたくさん飲む、「癇癇」―暑くてむかつく、「閑閑」―人出が減って街は閑散、「喚喚」―叫びたくなりそう・・・どの字を当てはめてもつらいです。

  井上陽水さんの「かんかん照り」(1976年)を思い出して収録されているライ Kan6_2 ブアルバム「東京ワシントンクラブ」を聴いてみました。フォーライフレコードが設立された年の「招待状のないショー」に続くアルバム、TVCMにぼんやりと映った陽水さんが印象に残っています。構成は「氷の世界」に似ていてライブアルバム3枚の内の2番目で珍しいです。フォーライフに移籍してからそれまでのセンチメンタルな雰囲気からロックに曲調が変わって、
「かんかん照り」は感情を出すシャウトがより強くなっています。1999年にCDアルバム「GOLDEN BEST]を出した後テレビに出演することが多くなり、NHKのSONGSに何回か出演されています。声量がかなり落ちているものの伸びやかで艶のある声はそのままです。「少年時代」を始め陽水さんの夏の歌は特に好きです。

  夏といえば会社を辞めて誘われ るままに社員3人の小さな会社の取締役になり、
ほとんど思いつきで指示すKan3る社長の言われるまま このかんかん照りの空の下で、飛び込みセールスしたちょっと辛い思い出があります。アポなしのため売れそうもない商品の説明を少しでも聞いてくれるのはまだしも、用件も聞かず門前払いがほとんどでした。それでも得意先があり、商品を開発したり、仕入れて納入することでわずかばかりの収入がありました。給料が支払われたのは最初だけであとは商品が売れたらということでした。夏が終わるころには得意先からの注文もなくなり、仕入れ先からの借金に追われるようになりました。昨日まで優しかった営業の人が鬼のような形相になって連日のように借金を取り立てに来ました。

  いろいろな人に話を聞くうちに、この社長は以前、大企業に勤めていたことで人Kan4 脈があるころを見せて投資話を持ち掛ける詐欺師だとわかったのはその年の暮れでした。
売り上げが毎年二千万円という社長の話にすっかり騙されていました。年が明けるころには就職活動を始めて運よく再就職できました。ところが手形の仕組みをよく知らず、保証人になってしまったための辞めてからも督促状が来たことがあったので友人に相談してようやく解決しました。借用書をとっていたので出資金も戻ってきました。その後、この社長は裁判に訴えられたと聞きました。この社長が熱く語っていたことはすべて妄想・・・炎天下の陽炎のようなものでした。夢を熱く語るのは良いけれど騙されてはいけない―この夏の出来事以来、物事をサングラスで見るように臆病になりました。

Kan5

2015年7月11日 (土)

こどもの時間

  フォークルのアルバムを探していたら、半年くらい前に中古レコードを買う時にMoon1 1枚では送料がもったいないのでついでに買ったなぎら健壱さんの「永遠(とわ)の絆」(1978年)日本青年館ライブアルバムが出てきたので聴いてみました。司会がタモリさん、応援に高田渡さん、加川良さんなどフォークのレジェンドも参加して、コンサートというより落語や漫才を聴いているようです。曲調もデキシーランド・ジャズ風だったり、ロック風の童謡だったり、ブルース、演歌やバラードと多彩です。神出鬼没で風体は飲み屋さんの暖簾をくぐる恰好が似合う人です。このアルバムもよく言えばライブの臨場感がある録音でレベルが一定せず聞き取りにくい部分があります。

  ことにB面が秀逸でパンチのあるピアノのリズムにMoon2 引きずられて酔っ払いがブルースを歌うような「残り酒」、高田渡さんの雰囲気の「最後の思い出」にほろっときてその高田渡さんをネタにしてしまう「葛飾にバッタを見た」で大笑い。
なぎらさんのような歌がアングラと言われた当時、変幻自在の歌い方・スタイルのシンガーは結構いました。けれどいまはなぎらさん以外は見当たりません。いまでいうインディーズなのでしょうけれどこちらは商業ベースに乗れないだけで売れればメジャーデビューする予備軍のようなものらしいです。歌舞伎役者みたいなメイクや派手な衣装のビジュアル系というジャンルらしくて見た目も楽しいです。

  フォークの生き字引のようななぎらさんは昭和30年代の下町についても本を出Moon4 していてお父さんが子供にそのころの様子を話して聞かせる絵本「ぼくらは下町たんけん隊」を読むと浅草や隅田川沿いの道を歩いている気分になります。日が暮れるまでベーゴマやメンコに興じていました。「三丁目の夕日」の世界ですね。日本橋、京橋、神田、下谷、浅草、本所、深川を下町と呼ぶそうですが、簡単に言えば山の手線の外側でしょうか。このころの下町の様子を活写した山田洋二監督の「下町の太陽」がありました。主演の倍賞千恵子さんの主題歌が記憶に残っています。1956年度経済白書の「もはや戦後ではない」という言葉がはやり、1960年には所得倍増計画が策定され、日本が戦争から立ち直って急激な経済成長を始めるダイナミックな時代でした。

  私は東京の下町に住んだことはありませんが絵本 に描かれている情景はほぼ同じです。家の前の未舗装の道路(これが普通)に
Moon7は時折ボンネットバスやオート三輪が土ぼこりを上げて往来していました。町内を練り歩くチンドン屋さんや紙芝居屋さんのあとによく付いていったものです。バスの後部を改造した宣伝カーが「月光仮面」の主題歌を流しながらやってきたときは興奮して、それから一週間くらいその話題でもちきりでした。ボール紙でできたお面をもらいました。風呂敷に三日月の紙を張り付けて覆面のようにかぶり、マントを着けて走り回っていたと母がよく言っていました。

Moon5  家にはテレビがなく、「月光仮面」は近くの友人の家で十数人が集まって明かり を消して見ました。主人公祝十郎役の大瀬康一さんは製作予算が少なかったこともあって大部屋俳優からの抜擢だったそうです。大瀬さんはそのあと「隠密剣士」で忍者との死闘を牧冬吉さんとの名コンビで演じて忍者ブームが巻き起こりました。新聞紙で刀を作り、折り紙で手裏剣をつくって忍者やチャンバラごっこをしました。私の家の前は公園で子供たちがよく集まり歓声を上げて遊んでいるのを見ると地面に線を引いて陣取りやビー玉を思い出します。道路いっぱいにロウ石で丸が描かれていると「ケンケンパッ」と小声でケンケンしながら通り過ぎたりしています。

  このころのテレビドラマは「月光仮面」のようにストー リーが勧
善懲悪、主人公が正義の味方で1話完結しながら続くというパターンでしたからわかりやすく善悪の判断が明快でした。いまはこれがアニメでセーラームーンのようにわかりやすいストーリーは少なく設定が複雑すぎ、暴力的で理由もなく戦ったり登場人物の表情も乏しくてよくわかりません。子供の時間だった6時台はニュース番組が占め、ニュースはほんの少しでワイドショーのようなグルメや商品の紹介だったりします。 この後の時間帯はバラエティーで芸能人の学芸会になり、こどもたちが目を輝かせて観るようなテレビ番組は皆無です。いじめを助長するような極悪番組も批判されながら視聴率のために残っています。

Moon8
  いまこどもたちは情報や会話を通信機能があるゲーム機や携帯電話に依存していてグループに入れなかったり、些細なことでいじめられて、自殺に追い込まれた最悪の事態が起きています。これまでのいじめ対策は何の効果もなく陰湿化、極悪化しています。少年法の改正とか厳罰化するのも必要ですが、私たちが子供のころテレビのヒーロードラマで学んだ善悪や友情といった人間の根源的な価値観を伝えた6時台の番組の復活を望むところです。根がしっかりすれば木がすくすくと育つようにこどもたちには大人になるまでまっすぐに生きてほしいですね。
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2015年7月 7日 (火)

明日は天気に

   「てるてる坊主てる坊主 明日天気にしておくれ」と軒につるしたてるてる坊主と雨Tenki1 だれを見ながら小さいころよく歌ったものです。1週間も続けて雨が降るなんてここ何年かなかったことです。洗濯物を干したら降ってきて大急ぎで取り込み、晴れ間が見えたらまた外に出す―もう朝から3回も繰り返しています。それでも乾かないTシャツを無理やり着て、「男おいどん」のようなキノコが生えてくるのではと思ったりしています。昨年は雨が少なくてうまくできなかったトマトが今年は水分が多いのかはちきれてしまいました。果汁がたっぷりで酸味も程よく、毎朝食卓に出ます。このところの天候不順で野菜が高いので家計にもおいしいです。

  「明日天気にな(あ)れ」というタイトルの曲はシモンズ、中島
Tenki2みゆきさん、おかあさんといっしょ、ゆず・・・と個性の違ういろいろな人がそれぞれの思いを込めて歌っています。中古ショップで手に入れたMarantzのLS183とモニター用に使っているBOSEの101ITでシモンズの「風のことづて」(1973年)と中島みゆきさんの「臨月」(1981年)の同タイトル収録曲を聴き比べてみました。シモンズが明日は晴そうな「明」とすると中島みゆきさんは雨が降りしきる「暗」、シモンズの曲は「失恋」、中島みゆきさんは「失意」がテーマでしょうか、明日こそは失った淋しさを忘れて気分が晴れますようにと願っているようです。スピーカーとしてはメリハリの利いたLS183がシモンズの「晴れ」、101TLはしっとりと聴かせる中島みゆきさんの「雨模様」にふさわしい感じがします。朝と夕方、気分に合わせてモニタースピーカーを変える楽しみが増えました。

  てるてる坊主で思い出すのは「山の子」という
山の歌です。
    

           雨が降り てるてる坊主が 泣いても
     私達は 泣かないで 山を見つめる
     山の子は 山の子は 皆強いよ 

Tenki3   雨に見舞われてテントで停滞したときの定番の1つでした。多少の雨では傘をさしたり、ポンチョを羽織って強行しますが、森林限界を超える2000m以上の稜線や痩せ尾根、ガレ場や岩場、雷雨や濃霧が予想されるときはリーダーの判断で停滞か強行を決めます。3年生になるとリーダーかサブリーダーになって山行を計画してメンバーを集め実行します。山行計画にもよりますがメンバーが集まりやすいリーダーと集まらずに計画を断念するリーダーが出てきます。体力・判断力・行動力・・・山行で求められるのは地上のリーダーと同じで利害関係がないだけに人間性そのものが問われます。

  「電池を1本逆にしたら点かない。」Tenki4
  「内部抵抗として通電するから点く。」
  「鳳-テブナンの定理からありえない。」
  「等価回路を描けばわかるよ。」
  「いやいや電位差がないから。」
  「電池の劣化で電位差ができる。」
  「じゃぁやってみようか。」
  「ほら、点いたぞ。」
  「おかしい、絶対おかしい。」

  テントの中ではこんな議論が始まったり、山の話、将来の話、この日のためにTenki5 仕込んできた話で盛り上がり、その合間に山の歌の大合唱があります。日が沈むころ夕食となって気象係は先に寝て10時にNHK第2放送の気象情報を聴いて天気図を描きます。山行中はこの天気図で1日を予想して、歩きながら観天望気で雲の動きや風の流れで刻々と変わる天気を予測しながら行動します。食事係(Essen:エッセン)とこの気象係が山では楽しくて安全な山行になるかどうかの重要な役割です。私は気象係は得意でしたがエッセンは2回とも不評でした。

  メンバーが寝静まった頃、懐中電灯を片手に各地の気象現況を記入して等圧線を引き、低気圧の強さと速度から翌日の天気を予想してリーダーに伝えます。ふと、テントから顔を出すと日中の激しい風雨はすっかりおさまって雲間から星が見えます。

  「明日は晴れますね。」
  「朝は曇りで昼から晴れそうだな。」Tenki6
  「いい山行になりそうですね。」
  「明日が最高峰だからな。」
  「昼ごろに山頂ですね。」
  「そうしたいね。天気図ありがとう。」
  「おやすみなさい。」

  家ではあれこれ考えて寝られないこともあるのに山では
充実した山行の快い疲れもあって夢も見ずに寝てしまいます。人生には山あり谷ありといいますが、その道筋は私が登った山のような一本道ではなく、迷路のようになっていてどこまで行っても山頂にたどり着かない―これまではそんな人生でした。これからもたぶん似たようなものですが、道の選択肢はどんどん減ってゆくと思います。その道も崖っぷちだったり行き止まりだったりするかもしれません。それでも行くしかないのだからせめて晴れ晴れした気持ちで「あ~した天気にな~れ」と念じながら歩いて行こうと思います。
Tenki7

2015年7月 6日 (月)

限りないもやもやを・・・

  新幹線で71歳の焼身自殺がありました。マスコミのほとんどは自殺の動機になっLife1 たと思われる年金生活者の苦悩について語らず、テロの危険性や手荷持検査の是非など新幹線の安全性について過剰に反応しています。安全神話崩壊とまで騒ぐのを見るとマスコミの浅はかさを感じます。これは「事件」として扱われるのが筋なのに新幹線の安全性を損なう「事故」として問題がすり替えられています。さらに家宅捜査ではサラ金関係の書類があり、マスコミはどうやらサラ金に手を出したために生活が困難になったとすり替えたいようです。確かに新幹線での「犯行」は弁護の余地はありませんが年金生活の私はその追いつめられた心情が理解できます。それでいて人間性のかけらもない凶悪な殺人犯が本を出したことに理解を示そうとする「有名人」にはただあきれるばかりです。

  そうかと思えば紛糾している世界遺産登録で自国の案件を通したいために協力する風に見せかけて、承認されたら手のひらを返Life2 したように日本の案件には反対する―予想されたこととはいえこの裏切りは許せません。この国の品格は地に堕ちた、いやそれ以上に卑劣な国だと思いを新たにしました。関係改善は見せかけで反日は変わらない、これからも何事にも反対や介入をして困らせることだけを国策としているのだと日本は肝に銘じたはずです。軍国主義とか反省しない国だとかなんと言われようとこの国に対しては何1つ妥協せず厳しく対応して欲しいものです。

  そんなニュースを見てこれから先どうなるかという話になって・・・

Life3_2  「それで、いくらあれば満足なの。」
  「生
活に困らないくらい。」
  「できる範囲でやりくりすれば。」
 
「それがわからないから不安なの。」
  「そのうち
自分がわからなくなるさ。」
  「・・・・・」

  マクロ経済スライドとかその仕組みがきちんと説明されないまま減らされた年金、構造的な問題を解決せず増額された健康保険、Life4 介護保険、円安による物価上昇・・・。少子高齢化は増税のための常套句で一向に具体策が見えてこないまま国の借金ばかりが増えています。年金を配るだけのための年金機構に4万人以上もいてその半数が派遣、パスワードの設定などセキュリティの指示に虚偽の完了報告していたことが発覚、流出した情報の対策に税金を使い、損害は補償しないという―でたらめな年金管理の責任回避と天下りのために作ったような何の役にも立たない法人など作らずにその費用を年金に回せばどれだけ改善するかと思います。ギリシャのようにデモが起きないのが不思議なくらいです。

Life5   「また働こうかな」
  「何がしたいの。」
  「海外旅行とか。」
  「温泉で十分だよ。」
  「それもないじゃない。」
  「・・・・・」

  自分がいくら頑張ってもどうしようもないことばかり、働いていれば気も紛れるだろうけれど、どこにぶつけてよいかわからない不満や怒りが、不安を煽るように日々理不尽なLife6 出来事が続いています。こうして気持ちが追いつめられたときには「悲しくてやりきれない」(1968年)を聴くことにしています。ザ・フォーク・クルセダーズ(フォークル)は「帰ってきたヨッパライ」(1968年)が大ヒットしたその年に解散してしまい、以後それまでの歌謡曲のあり方を大きく変えたフォーク・グループとして伝説的に語られるようになりました。「悲しくてやりきれない」はスタジオ製作の「紀元弐
阡年」とこのライブの「当世今様民謡温習会」に収録されています。  このころは赤い鳥のように日本の民謡をフォーク・ソングとして取り上げるグループが多かったように思います。フォークの教祖的存在だった岡林信康さんも民謡にロックのリズムを求めて回帰しています。いまはやりのJ-POPもかつては日本の心のよりどころだった演歌や民謡を取り込む流れが起きるかもしれません。つらい時や悲しい時は日本の情緒的な歌が癒してくれます。

  Life7 「やっぱりやめた。」
  「十分頑張ったからもういいよ。」
  「贅沢な悩みだったね。」
  「受け入れるしかないこともあるさ。」
  「週3日で3~4時間なんてないし。」
  「そんな適当な人を雇うわけないだろ。」
  「そうよね、夕ご飯作るわ。」

  なかなか止まない雨も夕方には西の方から晴れてきました。
Life8_2雲が多いぶん夕焼けがとてもきれいです。若いころは自分の存在意義や生きていることの意味まで 考えて落ち込みました。歳を重ねたいまはそんな難しいことを考えても結論は出ないし、気分を変えたほうが手っ取り早いことを知り、へこむことはあっても回復に時間がかからなくなりました。若いころのようにわざわざ土砂降りの中を歩くようなことはせず、思い通りいかなくて悩んだら雨宿りをするように止むのを待てばいい。そして雲間から陽が射すように何か1つでも明るいニュースがあれば、ノン・アルコールでもいいからビールが一缶あれば、夕食に大好きなおかずが1つでも出ればいい・・・そんなささやかなことでもやもやは晴れます。このささやかな人生をこれからもずっと受け入れようと思います。

Life9_2

2015年7月 3日 (金)

雨の日こそロックン・ロール!

  今年は例年より雨が多めで九州では100年ぶりに降水量記録を超えたとか、Rock3 各地で土砂災害が危ぶまれています。それに加えて台風が日本列島を窺っています。小学校4年までは大雨になると裏のどぶが氾濫して床上浸水に悩まされていました。それで父は一念発起、家を建てる決意をして住宅融資に応募、2度目で受かり、大工の棟梁だった父の長兄に頼み込み家を建てることになりました。どこで覚えたか父は家の図面を引いて家族に見せました。当時は平屋が多く珍しかった2階建てに新居で過ごす夢を膨らませました。

   今ではほとんど見られなくなった棟上げの時の餅まきにRock4 は近所から人が集まって一緒に撒かれた小銭を拾っていました。日曜日には母に連れられて大工さんに茶菓を出すのを手伝いました。姉と2人で2階の床を走り回りよく叱られました。約1年かかってようやく完成。兄が借りてきたトラックに家財を積み込み終わったと思ったら、お雛様が棚に残っているのを忘れて大慌てで積み込み約10Km先の新居に出発しました。

  新居では就職した
Rock5ばかりの兄がリーゼントをばっちり決め、バンドを組んでい たらしくスチールギターを買ってきて弾いていました。60年代でしたからロックンロール(ロカビリー)の全盛期。ポータブルプレイヤーで「Oh!・キャロル」や「恋の片道切符」を何度も聞かされ「オオキャロアイムバタフールダーリンマラビュー」とか「チューチュートレインチャッキンダマツルゥー」と意味不明ながら歌詞を覚えてしまいました。今振り返ると兄は夜間の大学受験の勉強を続けていて、それがままならなくなったことや、そのころは当たり前のように「長男は家督を継ぎ、家計を助けるものだ」と父に言われていましたから、やりきれない鬱憤を音楽で晴らそうとしていたようにも思います。

  そんなロカビリー好きの兄を思い出したのはあRock2
温泉街を訪ねる旅番組で60年代の音楽ばかりを生演奏で歌って踊るダンスホールが紹介された時でした。ポニーテールに水玉模様のワンピース、リーゼントに肩幅が広めのスーツと細めのネクタイ。80年ごろのリバイバルブームに乗ってその雰囲気を再現したようなバンド、ザ・ヴィーナスのアルバム「PARTY Rock'n Roll Tunes Forever」(1981年)を聴きました。「砂に消えた涙」、「ロック・アラウンド・ザ・ロック」、ラストのヒットパレードメドレー13曲―これだけでも十分でもう感激です。

  兄とは10歳ほど離れていましたので遊ぶことはほとんどなく、引っ越したころには夜勤で話すこともなく、いつか家を出てしまいましたから高校に上がるころにはお盆と正月くらいあいか顔を合わせることもありませんでした。ただ、気にはしてくれていたようで浪人して受験した大学にことごとく落ちたとき電話がかかってきて励ましてくれたことをずっと忘れずにつらい時はこの言葉を思い出して乗り越えてきました。

  「長い人生だからいろいろあるよな」
  「うん」
  「一生懸命頑張ったってだめなこともあるよな」
  「うん」

Rock6  「だけどな、考えても見ろよ
    これからのほうが長いんだぜ」

  「もうこれで終わりだよ」
  「確かに終わったな」
  「明日から働くよ」
  「けどさ、1年なんて一瞬だよ」
  「それが一瞬で終わった」
  「長い人生で1年なんて一瞬だよ」
  「そうなんだけど」
  「2年、3年かかったっていいじゃないか」
  「家族に迷惑がかかるし」
  「そんなこと気にしないことさ」
  「・・・」
  「自分の人生なんだから大切に、な」
  「もう少し考えてみる」

Rock7   何年か前に亡き父の法事で会ったとき自慢のリーゼントが真っ白で、パチンコで生計を立てたこともあるという兄は職を転々とし、その様々な経験が深いしわを刻んでいました。長年の持病のために病院通いだと自嘲気味に話していました。こんなときこそ兄からかけられた言葉をかけてあげたい、家族が同じ1つ屋根の下に暮らせたら・・・と言いたかったのを飲み込みました。お互いにこれまでよりこれからのほうが短くなって明日はどうなるかわからないし、あまりにも時が経ちすぎていました。

   「おいおい、そんな梅雨みたいに曇った顔をするなよ。雨の日こそロックンロールだぜ。」

  窓打つ雨のしずくを見ていたら、そんな兄の言葉が聞こえたような気がしました。

Rock1

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