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2015年7月 3日 (金)

雨の日こそロックン・ロール!

  今年は例年より雨が多めで九州では100年ぶりに降水量記録を超えたとか、Rock3 各地で土砂災害が危ぶまれています。それに加えて台風が日本列島を窺っています。小学校4年までは大雨になると裏のどぶが氾濫して床上浸水に悩まされていました。それで父は一念発起、家を建てる決意をして住宅融資に応募、2度目で受かり、大工の棟梁だった父の長兄に頼み込み家を建てることになりました。どこで覚えたか父は家の図面を引いて家族に見せました。当時は平屋が多く珍しかった2階建てに新居で過ごす夢を膨らませました。

   今ではほとんど見られなくなった棟上げの時の餅まきにRock4 は近所から人が集まって一緒に撒かれた小銭を拾っていました。日曜日には母に連れられて大工さんに茶菓を出すのを手伝いました。姉と2人で2階の床を走り回りよく叱られました。約1年かかってようやく完成。兄が借りてきたトラックに家財を積み込み終わったと思ったら、お雛様が棚に残っているのを忘れて大慌てで積み込み約10Km先の新居に出発しました。

  新居では就職した
Rock5ばかりの兄がリーゼントをばっちり決め、バンドを組んでい たらしくスチールギターを買ってきて弾いていました。60年代でしたからロックンロール(ロカビリー)の全盛期。ポータブルプレイヤーで「Oh!・キャロル」や「恋の片道切符」を何度も聞かされ「オオキャロアイムバタフールダーリンマラビュー」とか「チューチュートレインチャッキンダマツルゥー」と意味不明ながら歌詞を覚えてしまいました。今振り返ると兄は夜間の大学受験の勉強を続けていて、それがままならなくなったことや、そのころは当たり前のように「長男は家督を継ぎ、家計を助けるものだ」と父に言われていましたから、やりきれない鬱憤を音楽で晴らそうとしていたようにも思います。

  そんなロカビリー好きの兄を思い出したのはあRock2
温泉街を訪ねる旅番組で60年代の音楽ばかりを生演奏で歌って踊るダンスホールが紹介された時でした。ポニーテールに水玉模様のワンピース、リーゼントに肩幅が広めのスーツと細めのネクタイ。80年ごろのリバイバルブームに乗ってその雰囲気を再現したようなバンド、ザ・ヴィーナスのアルバム「PARTY Rock'n Roll Tunes Forever」(1981年)を聴きました。「砂に消えた涙」、「ロック・アラウンド・ザ・ロック」、ラストのヒットパレードメドレー13曲―これだけでも十分でもう感激です。

  兄とは10歳ほど離れていましたので遊ぶことはほとんどなく、引っ越したころには夜勤で話すこともなく、いつか家を出てしまいましたから高校に上がるころにはお盆と正月くらいあいか顔を合わせることもありませんでした。ただ、気にはしてくれていたようで浪人して受験した大学にことごとく落ちたとき電話がかかってきて励ましてくれたことをずっと忘れずにつらい時はこの言葉を思い出して乗り越えてきました。

  「長い人生だからいろいろあるよな」
  「うん」
  「一生懸命頑張ったってだめなこともあるよな」
  「うん」

Rock6  「だけどな、考えても見ろよ
    これからのほうが長いんだぜ」

  「もうこれで終わりだよ」
  「確かに終わったな」
  「明日から働くよ」
  「けどさ、1年なんて一瞬だよ」
  「それが一瞬で終わった」
  「長い人生で1年なんて一瞬だよ」
  「そうなんだけど」
  「2年、3年かかったっていいじゃないか」
  「家族に迷惑がかかるし」
  「そんなこと気にしないことさ」
  「・・・」
  「自分の人生なんだから大切に、な」
  「もう少し考えてみる」

Rock7   何年か前に亡き父の法事で会ったとき自慢のリーゼントが真っ白で、パチンコで生計を立てたこともあるという兄は職を転々とし、その様々な経験が深いしわを刻んでいました。長年の持病のために病院通いだと自嘲気味に話していました。こんなときこそ兄からかけられた言葉をかけてあげたい、家族が同じ1つ屋根の下に暮らせたら・・・と言いたかったのを飲み込みました。お互いにこれまでよりこれからのほうが短くなって明日はどうなるかわからないし、あまりにも時が経ちすぎていました。

   「おいおい、そんな梅雨みたいに曇った顔をするなよ。雨の日こそロックンロールだぜ。」

  窓打つ雨のしずくを見ていたら、そんな兄の言葉が聞こえたような気がしました。

Rock1

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