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2015年9月

2015年9月13日 (日)

今年の秋はいつもの秋より・・・

  今年の夏は記録的な猛暑でした。それがお盆を過ぎたあたりから台風の影響End1 で気温が下がり、ここ数週間は大雨を降らし続けやっと晴れ間が見えるようになりました。気温も少し上がりましたが夜になれば秋の風。この夏はこうしてずっと椅子に座ってパソコンに向かう時間で過ぎました。時間がたつのを忘れ、日付を忘れ、気が付いたら夏はごみ箱に捨てられたカレンダーの1ページになりました。海を見たかった、陽炎が立つ日照りのオフロードを走りたかった・・・そのどれもが思い出になりませんでした。

 
今夜は夏の終わりの蒸し暑さと、ひんやりとした秋の 夜風が交じり合う部屋でアリスのアルバム「ALICEⅦ」(1979年)に収録されている「End0秋止符」を聴いています。歌とは逆の何もなかった夏ゆえに今年の秋はいつもより短くなりそう・・・と感じています。あっという間に過ぎてきた夏はこれまでも何度かありました。受験勉強や山登り、新婚生活、海外旅行―そのどれも楽しいことやつらいことがあって短く感じた夏でした。今年のように何の変化も感動もなく過ぎた夏は初めてです。春と秋の間がタイムトンネルでつながってしまった―子供のころに見たテレビドラマのように―何年か先にはすっかり記憶から消えてしまうに違いありません。だから秋はもっと短く感じそうです。

  子供のころの夏休みの楽しみといえば縁日の金魚すくいとか花火大会、盆踊りEnd2 でした。浴衣を着てうちわを持って、げた履いて、日ごろは行けないアーケードは夢のようでした。その夢の世界から掬ってきた金魚は数日で死んでしまい、ボンボンはしぼみ、夏休みの終わりごろには夢から覚めてしまいます。そんな夏が好きで夏休みが待ち遠しかったです。絵日記をきちんとつけておけば思い出すだけでも楽しいのに毎年3日ぐらいで忘れて夏休みの終わりにあわてて書く始末。
いまごろになって1日1日が大切なことに気が付いて後悔しても遅いですね。

  中国の時代小説を読んでいると1年を「春秋」、年を重ねると「幾星霜」という表現をよく目にしますが年月の経過を夏で表した文章は見たことがありません。昔も今も夏は暑くて何もする気End3 が起きなかった、早く終わってほしかった、そう感じます。日本の会社はお盆休みを中心に長くても1週間程度の休暇を取るのが一般的ですが外資系の企業ではほぼ1か月バケーションという人が珍しくありません。そのために夏休み前に大量に資材を発注して在庫を増やしておくようにしていましたがタイミング悪く夏が終わってから着荷して、納期は間に合わないし、過剰在庫になるし、売り上げは激減で上司に叱られたことがありました。その時の私は1日千夏(秋)の思いで資材到着を待ち続けていました。

  「秋止符」は夏にあった出来事を忘れたい秋がいつもより長く、淋しく、辛く感じ End4_2 るやり場のない切ない気持ちを綴っています。こんな行きずりの恋をしたことはないけれど片思いは数知れず、歌詞の1つ1つが胸に迫ってきて、初めて聴いたときは涙が止まりませんでした。仕事をしているときや仲間や家族に囲まれているときは何もかもが明るい夏の日差しに照らされて幸せの絶頂にあると感じるからこそ、そのすべてを失う夏の終わりは辛くて長く感じます。一生懸命働いてきたのだからそのご褒美として悠々自適に暮らせばいいなんて心境にはとてもなれません。

  かといってこんな孤島のようなところに昔の仲間や家族を呼んだところでこの秋が終わるまでお金も
話題も乏しい私の相手をしてくれるわけではありません。End5 日暮に鵜の鳥は巣に戻ってしまうし、連絡船は母港に帰ってしまうのです。取り残された私は朝が来ても気持ちは夜のままだし、心は光を失った灯台なのです。今年の夏はあまり身動きできない状況だったので悶々としていましたが、暗さに目が慣れるように自分の置かれた状況をありのままに受け入れました。いつか最後の夏が終わってもう冬を待つしかない短い秋になっても自分を見失わず何が起きても受け入れる。それは自分の責任とか運命とか重く受け止めるのではなく、秋風が少し涼しいかなと受け流してゆく―この季節に感じる孤独は枯葉が落ち葉になるまで風に吹かれて舞っているだけなのだと思います。

  秋は長くても短くても美しい季節。移りゆく景色を眺めながら風に舞う枯葉のように生きていけば人生の秋はそれでよいのだと思います。思い出がたくさんあってもなくても、お金がたくさんあってもなくても、幸せでであってもなくても、たくさんの友人に囲まれていてもいなくても、いつかは土に還る身なのだから。
End6

2015年9月 9日 (水)

回転ドアを少し回せば

Hotel1   何度聴いても意味がよくわからないレコードが何枚かあります。松任谷由美さん(以下、ユーミン)の「時のないホテル」(1980年)がその1枚。都会的で明るい曲が多いユーミンにしては暗く重い曲ばかり。タイトル曲は戦争映画で観た軍艦の伝声管を通したような声。イエローサブマリンにも似た感じの曲がありました。とある高級ホテルに泊まるスパイがひとときの安らぎを求めて交歓している・・・そんな情景が浮かびます。

  それをを暗示するようにジャケットには
超高級ホテルソファに無表情で深々と腰かけている写真、別のシーンはスパイたちとなにやHotel2_2ら 怪しげな会話をしているらしいユーミン。このアルバムの前後から始まる80年代は大掛かりなライブステージや人気歌手への楽曲の提供でデビュー以来2度目となるブームが起きました。ティータイムをとても大切な時間と見開き1ページに語っているのはいろいろな可能性を試してそのブーム到来を待っているようにも思えます。

  この「時のないホテル」は平和ボケした日本を揶揄しているとの説明もネット上Hotel3 で散見されます。宮崎駿さんのアニメ「風立ちぬ」の主題歌として「ひこうきぐも」が取り上げられたことを以前ブログに載せましたが、改めて歌詞を見直すと若くして大空に散った若者たちを歌っているのではないかとも思えます。戦争で多くの犠牲を払いながら敗戦国となったためにその責任を背負い続け、日本のために命をささげた人たちへの供養は公にはできない状況です。戦争で悪逆非道の限りを尽くしたように言い募る隣国がありますがはたして事実はどれくらいあるのでしょうか。まるで70年間時が止まったようです。

  さてその平和ボケした日本では日本や同盟国が戦争や紛争の脅威にさらされた時、生命や財産を守るために必要な集団的Hotel4 自衛権を行使する法案を成立するにあたり、戦争法案とレッテルを貼って一向に理解しようとせず、こうした危機を防止する対案も示さず、延々と不毛の議論を繰り広げています。その国会の外ではこれまた無意味なデモが議事堂前を埋め尽くしています。明らかにテレビ映りを意識したプラカードや何の関係もない着ぐるみまで登場してお祭り騒ぎです。昔の学生運動は方向が違っていたかもしれないけれど主義・主張がありました。ところがここに集まっている群衆には何の方向性も切実さもありません。マスコミもまた怪しい世論調査とか、大げさにニュースで取り上げるので日本中が戦争反対を叫んでいるように煽り立てます。

  回転ドアを少し回せば 外の空気が流れ込むけど
  あわてて止めに来るよ 制服を着たボーイが・・・

  この歌詞のような光景を一体いつまで見続けなければならないのでしょうか。Hotel5 安保体制が日本のためにあるように思っているかもしれないけれど、私はアメリカ本土を防衛するために日本を前線基地にしたいだけだと思います。戦争になれば機能が集中している首都圏がまずミサイルで破壊され、反撃のために「国民の理解」をとっている間に日本全土が焦土になります。現代戦は一瞬で決まり、兵士は高度な戦闘訓練を必要としているので徴兵した一般人は即戦力になりません。戦争法案とセットで「徴兵制」を騒ぎ立てているのは全くナンセンスとしか言いようがありません。戦争の本当の恐ろしさを知らない平和ボケした日本ならではの空想です。

  憲法を根本から改正すべきという意見は最初から無理とわかっているから言える「正論」ですね。平和のために戦争をしてはいけない―そんな当たり前のことを延々と主張するむなしさを感じます。盛大な軍事パレードで「平和路線」を唱えるようなものです。もういい加減に戦争反対ごっこはやめて現実的で足が地に着いた国家を目指してほしいものです。
Hotel6

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