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旅行・地域

2015年1月 3日 (土)

現在(いま)を信じて未来を拓く

 年末に1年の締めくくりとして九州の温泉を巡る旅(弾丸ツアー)に行ってきました。初Dazaifu1 日から日程がハードで朝5時起き、朝食はコンビニのパンで羽田に向かう途中で済ませ、10時のJALで北九州空港、すぐにバスに乗り、車窓の景色を見ながらシュウマイ弁当を食べ終わると「花子とアン」の詩人白蓮さんと「政略結婚」した伊藤伝右衛門の旧宅に到着。その広さも然ることながら贅を尽くした造りに感嘆しDazaifu2 ました。2周したところで見学時間が終わり、九州横断道路を大分に向かい別府に早めについたので近くのスーパーで買い出し、夜は冬には珍しい花火のプレゼントがありました。

  バスはそのあと湯布院、阿蘇山、長崎、柳川とめぐり、旅の終わりは太宰府天満宮でした。言わずと知れた学問の神様・菅原道真公を祀った神社です。さだまさしさんのセカンドアルバム「風
Dazaifu5見鶏」(1977年)に収録されている「飛梅」は道真没後に一 夜でこの地に飛んできた梅にまつわる伝説に想いを寄せた曲。「縁切寺」の太宰府バージョンともいえる曲調で「思い起こせよ梅の花」の飛梅に託して将来を約束したかに思えた恋が結ばれなかった切なさ、もう戻らない人への思慕を歌い上げています。

  この曲中で歌われている心字池の3つの橋を渡りました。手前1つめが「過去」で振り返らずに、2つ目の橋は「現在」で立ち止まらず、3つ目の「Dazaifu3 未来」は躓かずに進むとガイドさんに説明され、その通り小学生のように素直に渡りました。渡りながら現実の人生は過去を振り返ってばかり、現在は立ち止まることはしばしば、未来は思わぬことで躓く-それを戒めるための橋なのだと思いました。

  この橋は仏教の教え「三世一念」の考え方に基づいているのだそうです。「三Dazaifu4 世」とは過去世、現在世、未来世を示します。時間は過去から未来へ流れていますが、未来から現在へ流れ、それが過去になるとも言えます。未来は現在という実像に光を落とし、その影が過去になる、そんなイメージでしょうか。人生を変えることができるのは現在をどう生きるか、自分を信じて今を生きる「一念」にかかっている-もし現在に不安や悩みがあるとしたらそれをDazaifu6 取り払うのは現在の自分を信じて生きるしかないと説きます。未来は現在の延長ではなく、現在は未来も過去も含んでいてそのありようが未来を変え過去を変える-今をどう生きるかが未来を作り、過去としてその結果が残されてゆくということなのだと思います。

  今度の旅では忘れてはならない過去の思いを新たにしました。それは長崎にDazaifu8 落とされた原爆です。私たちの国は戦後70年にもなる「現在」中国や韓国から戦争の償いを要求されています。戦勝国アメリカは非人道的な原爆について謝罪するどころか終戦のために必要だったと強弁を繰り返しています。戦争に勝てば償いは必要ないのでしょうか。負けた国はいつまで償えば許されるのでしょうか。人を無差別に殺してしまうから戦争反対というのはもっともですが、戦勝国がこうした非人道的な行為を正当化し、真実をゆがめ、それを政治の道具にすることがもっと問題なのではないでしょうか。帰りの飛行機から眼下にどこまでも広がる青い空と海を眺めながら平和の本当の意味を考え続けました。

Dazaifu7

2013年6月12日 (水)

南ドイツ旅行記-ハイデルベルク

  最終日はシュットガルトから途中209kmのハイデルベルクを経由して300km北のフランクフルトに向かいます。約2時間ほどでライン川に合流するネッカー川沿いに拡がるハイデルベルクに着きました。街全体がピンクを混ぜたような赤色に染まっている印象があります。これはハイデルベルク城を中心にこのあたりで産出する赤色砂岩で建てられている家が多いためだそうです。日本でも同じような煉瓦色の建物を見かけますがプリントした壁紙でできた模型のような外観とは全く質感が違います。

  ハイデルベルク城は中腹までバスがやっと離合できるくらいの坂道を駐車場まで行き、石畳の急な坂道を歩いて登ります。重厚な城門(左上)を抜けると石造りの建物の壁に日時計(上中)が描かれていました。城門を閉める扉の鉄輪には城主が輪を噛み切ったら城を譲ると言い、多くの人とともに悪魔も挑戦して成功せず「悪魔の噛み跡」(右上)として残っています。
Heidelberg1_2
  城内にはさまざまな人名にちなんだ建物があり、その1つフリードリヒⅣ世を記念した建物にはの彫像(左下)が掲げられています。城からのHeidelberg12_2ハイデルベルグ旧市街の眺め(中下)は中世にタイムスリップしたような景色です。城の西側にはシュトックガルテン(大砲の庭園)と呼ばれる広場があり、その入り口にエリザベート門(右下)があります。この門はフリードリヒⅤ世が若妻エリザベートの20歳の誕生日に一夜で築いたといわれています。 
 

  他にもおもしろい展示物があって大樽棟(Fassbau)もその1つ。
Heidelberg7年貢として納めさせたワインを貯蔵して、王の広間に出来るだけ近くなるように設置されたといわれます。全部で4つそれぞれの時代の選帝侯の名前がつけられています。ただ、いろいろなワインが混ざるために味はあまりよくなかったようです。Heidelberg3この大樽の近くには15年間ワインしか飲まなかったペルケオと呼ばれる道化師出身の番人がいて人を驚かせるのが楽しみだったといわれています。ペルケオの人形の横にはびっくり箱があってひもを引っ張ると鐘が鳴って獣のしっぽが飛び出す仕掛けがありました。晩年ペルケオが病気になったとき医者のすすめでワインを止めて水を飲み死んでしまったという話になっています。小原庄助さんみたいな話はどこでもあるのだなあと思いました。他にも騎士が飛び降りたときの足跡(左上)とかゲーテが訪れた記念の銘板(右下)とかがあって中世を身近に感じます。Heidelberg2   ハイデルベルグ城を後にしてネッカー川にかかるカールテオドール橋の近くでバスを下車、ハイデルベルグ旧市街を散策・昼食をとりました。ハイデルベルグ大学が街の中心にあって現在では大学は分散しましたが図書館(左上)があります。東京の聖橋や神保町界隈を思わせる骨董・古書店(右上)がありました。名物のチョコレート菓子Studentenkuss(学生の口づけ:左下)を買い、レーベンブロイ直営のレストランで直径10cmはありそうなジャガイモと小麦粉と卵でつくった団子(カルトフェルクネーデル:右下)が付け合わせの牛肉のソテーを食べました。Heidelberg6  昼食後は市内を散策しながら集合場所のカールテオHeidelberg7_2ドール橋に向かいました。Heidelberg5「騎士の館」(左の写真右上)、昔学生が規律を乱したときに軟禁された「学生の牢屋」(同左下)、市庁舎とメインストリート(右の写真)など、どこを撮っても絵になる場所です。おまけにお人形さんのような子どもたちにも出会いました。

 




   ネッカー川はたびたび氾濫するそうで橋の支柱には過去の洪水の水位か刻まれていました。(左の写真右下)美しい煉瓦アーチで(左上)、この橋を作ったカール・テオドール像(右上)があります。橋のたもとには猿の像(左下)がかぶるように頭を入れると幸運になるとか。先週ニュースでこの橋が洪水に見舞われたと聞きました。


Heidelberg4

   さてこれでツアーの全プログラムが終わり、フランクフルトへ90km約1時間で帰り着きました。少し時間に余裕があったのでフランクフルト市内をざっと見物しました。橋から見た中心街(上)、どうしても買えなかった切手の自動販売機(左下)看板の星が1個壊れていたユーロ銀行です。(右下)街全体の雰囲気は高層ビルが建ち並ぶ新宿のような感じでした。Frankfurut2  フランクフルト空港についてチェックインしようとしたら持ち主のわからない不審Frankflt3な荷物が発見されたということでカウンター周辺が30分ぐらい閉鎖され騒然となりました。フランスに一人旅で行くという青年が飛行機に乗り間違えたらしく列の後ろにいた私たちに尋ねてきました。今どき珍しい礼儀正しい若者で好感が持てました。こうした海外に積極的に出る若者がどんどん増えて欲しいですね。夜の9時ですがまだ薄明るい空を日本への帰途に就きました。夕食にそうめんが出たときは涙が出そうになりました。モニターテレビでアカデミー賞を受賞した「落とし物」というアニメを見て感動しました。美しい夢の国のようなドイツを振り返り、旅先で触れたドイツの人たちの優しさにまたいつか来たいと思いました。

                            -南ドイツ旅行記 了-

2013年6月11日 (火)

南ドイツ旅行記-ノイシュバンシュタイン城

  ミュンヘンから約100km南へアルペン街道を世界遺産ヴィースの巡礼教会のあるSteingaden(シュタインガーデン)に向かいました。ロマンチック街道とは打って変わってスイスのチロル地方(行ったことはありませんが)のような景色が拡がります。自転車を乗せて反対車線をアウディのような高級車が何台も通り過ぎて行きました。Wies1 約1時間半ぐらいで到着。気温は5℃、風が強くバスを降りたときはとても寒かったです。ヴィース巡礼教会(Wieskirche)はその昔、シュタインガーデン修道院の修道士が彫った「鞭打たれるキリスト」があまりにも痛々しいのでしまい込まれていたのを農夫マリアがもら受けて祈りを捧げたところ涙を流した(1973年6月14日)という「ヴィースの奇跡」が広まり、参拝する巡礼者が多くなって、建てた教会なのだそうです。長さ45メートル、高さ32メートル、塔の高さは45メートルというその大きさもさることながら、中は宮殿のようなロココ調の彫刻と天井を美しいフレスコ画埋め尽くされています。この世のものとは思えない世界に浸って時が経つのを忘れてしまいそうでした。Wies2  このヴィース巡礼教会は日光の陽明門のように1日中眺めても飽きないと思います。心残りですがノイシュバンシュタイン城も早く見たいのでバスに乗りました。ノイシュバンシュタイン城のあるホーエンシュバンガウはここから約22km、約40分で着きました。到着の10分前から城が見えたので連続で夢中で撮してしまいました。Neuswan1_2  ノイシュバンシュタイン城の見学は予約制で当日券を求める観光客で長蛇の列が出来ていました。日本人が半分ぐらいでしょうか、あっちこっちから日本語が聞こえてきました。見学の開始13時50分まで約2時間ほどあり、近くのレストランで食事をとりました。Maultasche(マウルタッシェン)というラビオリのクリーム煮というか餃子のクリーム煮のような感じでおいしかったです。Neuswan2  ノイシュバンシュタイン城へはシャトルバスか馬車か徒歩になります。シャトルバスはマリエン橋の手前で降ろされます。いろいろ案内板があるのですがどれもアバウトな感じでそれがまたいい雰囲気です。Neuswan6_2  マリエン橋はルードヴィヒ二世の母であるマリー・フォン・ブロイセンに因んでペッラート渓流に1845年にかけられていた木製の橋をルードヴィヒ二世が1866年に掛け替え、1984年に修復されましたが橋面は当時のままといわれます。滝が落ちているところまで90mもあり、下を見ると足がすくみました。まさに絶景ポイントでノイシュバンシュタイン城が目の前に絵はがきそのままに見え、夢を見ているような信じられない光景でした。Neuswan11  見学の時間が迫ってきたので自動改札のある入場門に向かいました。入り口で日本語音声ガイドを渡され各ポイントで案内が自動的に聞こえます。もちろん内部は撮影禁止です。(中から外はOK)見学は30分でまるで設計者が意図したとおり舞台装置を見ているようでした。Neuswan9 ノイシュバンシュタイン城からはシャトルバスに乗った場所の向かい側の山に築かれたホーエンシュバンガウ城が望めます。Neuswan8  ホーエンシュバンガウとはドイツ語で「白鳥の里」を意味します。ノイシュバンシュタイン城を建てたルードヴィヒ二世は幼少をこの城で過ごし、15歳のときに初めて聴いて異常なまでに感動したというワーグナーの「白鳥の騎士」が主人公のオペラ「ローエングリン」に傾倒する要因になったという説もあるようです。ノイシュバンシュタインとは新しい白鳥のような石で出来た城という意味でしょうか、白鳥が舞うような美しさがあり、ディズニーのシンデレラ城のモデルともいわれています。しかし、この名前は故主のルードヴィヒ二世がつけた名前ではありません。

  ルードヴィヒ2世は父マキシミリアン二世が廃墟だったホ-エンシュバンガウ城をNeuswan10修復したのを見習ってか、廃城となっているその前城と後城の土台からセメントで作り直してノイホーエンシュバンガウ城として修復します。1869年から開始され1886年に住めるようになりましたがまだ未完成でルードヴィヒ2世が滞在できたのもその年の6月に王座を追われベルク城に幽閉されるまでのわずか102日だったといわれます。ベルサイユ宮殿を手本としてさまざまなルードヴィヒ二世の理想の世界が具現化されています。玉座が置かれる予定だった間の天井にはフレスコ画と目にも鮮やかな青天に輝く太陽が描かれています。建築費は当初の2倍になり王室費でまかなわれ、その負債が妄想的な言動と併せてルードヴィッヒ二世の退位の名分にもなったといわれています。城を追われるときに公開しないように求めたにもかかわらず、追放の3日目に亡くなり、その7週間後には現在の名称であるノイシュバンシュタイン城に改名され入場料5マルクで一般公開されてしまいました。

  ルードヴィヒ二世は最初の乳母が熱病で亡くなり、その後を継いだシビーレ・マイレハウスに深い愛情を注がれて育ちます。当時の王子は徹底的な英才教育と節約生活を強いられ、侍従がこっそりと食べ物を与えたといわれています。そのためか若いときはイケメンだったルードヴィヒ二世は食生活が乱れ後年歯が抜け落ちて体型が変わり、見る影もなく別人のようになっています。山登りを好む活動的な実母のマリーは子育てには関心が無かったようでルードヴィヒ二世は敬遠していたようです。ソフィとの婚約話が持ち上がりますが成り立たず、女性としてはシビーレと8歳年上の絶世の美女オーストリア皇妃のエリザベート(シシィ)とのみ文通する生涯でわずかに心を許せる人だったようです。そうしたこともあって孤独を癒やすようにこのノイシュバンシュタイン城にこもるようになったそうです。

  バイエルン王であるルードヴィヒ二世は徹底した平和主義者で支援したオーストリアに侵攻したブロイセンとの戦いを回避するためにミュンヘンの南西30kmにあるシュタルンベルグ湖に浮かぶ「バラの島」に逃げてしまい、わずかな領土の割譲で戦争を終結させます。戦争で勝つよりも犠牲を少なくする名君だと思えるのですが、それが王を失き者にする陰謀を加速したように思います。

  シシィの怒りの詩からは ルードヴィヒ二世の後を継いだ弟のオットーの摂政となるバイエルン王家ヴィステルバッハ家のルイトボルトが政治家と結託したのではないかとうかがわせます。ノイシュバンシュタイン城で拘束された3日後の1866
6月13日にこの湖でルードヴィヒ二世を精神的な病と診断した(捏造した)医師のフォン・グッデンとともに謎の死を遂げ今も真相は分かっていません。薄幸の王、ルードヴィヒ二世はその英明さと優しさのために政治的に利用され抹殺されたとしか思えませんでした。祖父のルードヴィヒ一世も建築を好み原因こそ違いますが失脚させられるという同じ運命をたどります。

  日本に帰ったらルードヴィヒ二世のことをもっと良く知Stutt2りたいと思いながらアルペStutt1ン街道を今日の宿のあるシュットガルトに向かいました。激しい雨が降り出してバスの横を日本では置物のようなポルシェが水しぶきを上げて過ぎて行きました。

  映画をフィーチャーしたホテルはおしゃれで快適でした。夕食もトリ天とパンケーキがおいしく、同じツアーの人たちと打ち解けて旅行の話で盛り上がりました。Stutt3

2013年6月 9日 (日)

南ドイツ旅行記-ミュンヘン

  旅行三日目となると時差ぼけもほぼ解消して十分な睡眠が取れるようになります。今日は土曜日で交通量も少なそうなので9時出発、気温はかなり下がって6度でした。ニュルンベルクからミュンヘンまでは約169Km、ニュルンベルク-ミュンヘン(A9)は日本の東名高速道路にあたる大動脈でこの路線に並行してICEが走るドイツ高速鉄道が敷設されています。ミュンヘンには2時間半ぐらいかかりました。Munich1
  ミュンヘンはドイツ3番目の商都、大阪のようなイメージです。ここも大戦で破壊された旧市街が復元されてマリエン広場を中心に美しい街並が拡がっています。ワーグナーが「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を初演したバイエルン国立劇場から入ると広場を取り囲むように旧市庁舎と新市庁舎が建っています。旧市庁舎には機械仕掛けのからくり時計があって2段になっており、正午に鐘が鳴ると動き始め、約15分間最初上段が回って騎士が決闘、それが終わると下段の村人たちが踊り出すという仕掛けでした。
Munich3
  昼食の集合までに30分ぐらいあったので大急ぎで隣接する新市庁舎の「おもちゃ博物館」に行きました。螺旋階段を上って4階からティディベアや懐かしい飛行機や自動車のブリキのおもちゃが展示されています。横浜の人形の家を圧縮したようなこぢんまりとした博物館ですが見応えがありました。
Munich2Munich4
  おもちゃ博物館からマリエン広場を挟んで反対側に5分くらい路地を入ったところにHBの看板のある国営のホフブロイハウスがあります。このビヤホールはドイツ労働党-ナチスの党大会が開かれ党の綱領が承認された歴史的な場所だそうです。ラドラーというレモネードを混ぜたビールは口当たりがよかったです。昼食にはスープとメインの10cmくらいある名物のソーセージ、ケーキが出ました。ソーセージが大きいので食べ残す人が多く、配膳をしていた年配のケンタッキーフライドチキン似のおじさんがちょっと悲しそうな表情で食べ残しをまとめていました。ソーセージの付け合わせのサワークラウト-キャベツを乳酸発酵させた漬け物-が口に合わないかなという感じでした。デザートのケーキもおいしかったです。Munich5
  このビヤホールには大勢のバイエルンのサポーターが集まって気勢を上げていました。この日はロンドンでドルトムントとの欧州CLの決勝戦があり、街中がバイエルンのチームカラーの赤と怒声のような応援歌であふれてました。日本に行ったことがあるかわいいサポーターに応援に来たの?と声をかえられて記念撮影しました。実際サポーターとおぼしきに日本人も何人かいました。Munich7
  昼食を終わるとミュンヘン郊外のホテルに直行してチェックイン、午後は自由行動になり、Sバーンでマリエン広場に戻り、買い物をしました。解散前に見つけた日本製を扱っている看板のあるカメラショップに入りバッテリーチャージャーを購入しました。Munich12このチャージャーは乾電池を含めたどのようなバッテリーも端子の間隔を調節するだけで充電でき、しかもUSB接続なのでアダプターを変えればドイツ以外でもPCからも充電できるという優れものでした。日本ではメーカーによってバッテリーが違い、バッテリーチャージャーも違って旅行に行くときは苦労しますがこのチャージャーがあれば全部1つですみます。残念ながら日本では発売されていません。
 
  ホテルから2-3分の近くにSバーンのLeuchtenbergring駅があり2/4/6号線のどれも停まり、約5分間隔で運転されていてとても便利です。チケットはホテルでも売っていて山手線区間内1日乗車券のようなパートナー1日券で5人まで乗れて10.4€と格安です。乗るときにタイムスタンプを捺すだけで改札はありません。そのかわり、公安が見張っていて無賃乗車は有無を言わせず罰金だそうです。Munich8
ミュンヘン市内の散策は広大なResidenzをめぐり、日本の某有名デパートではとても高価だというDallmayrのコーヒー豆を買って帰りました。
Munich9
  Leuchtenbergring駅はミュンヘンから4つ目ですが帰りの電車では1つ手前で回送になる電車だったらしく、日本のように車内放送はなく、乗客の人に「ここでおしまいだから降りて!」と声をかけられ危うく車庫に入るところでした。無事に帰ってきた今日のお宿
angelo Hotelはデザインホテルで内装が素晴らしく快適でした。Munich13
  明日はいよいよこのツアーのハイライトのノイシュバンシュタイン城です。スーパーで大量に買ったブドウや果物で早めに夕食をとり、就寝しました。

2013年6月 6日 (木)

南ドイツ旅行記-ニュルンベルク

  昼食後バスに乗って次の目的地ニュルンベルクに向かいました。約111km、Nurunberg5_21時間半ぐらいでしょうか、城壁に囲まれた旧市街の近くで降りて中心にあるHauptmarkt(中央広場)に向かいました。広場の北西の入り口には19mの金色に輝く、Shöner Brunnen(シェナーブルンネン)-美しの泉が出迎えます。40体の石像が3段に配置され上段がモーゼと7人の予言者、中段が使徒とラテン教会の神父、下段が神聖ローマ帝国の皇帝の選挙権を与えられた7人のドイツ王子と9人の英雄が配されているそうです。この泉を取り囲む柵の中に触れると幸福になるNurunberg13_3輪があるらしいのですが見つかりませんでした。この泉の向かい側にはNurunberg17_5フラウエン教会の威容があります。広場には露店がいくつも建ち並び、5月から6月にかけてこの地方特産のSpagel(シュパーゲル)-白アスパラガスが並んでいました。

  この広場から100m下ったところに二つの尖塔とレリーフが美しい聖ローレンツ教会に行きました。石組みの美しいゴシック様式の天井から聖書に因んだ木像が掲げられ、ステンドグラスから光が差し込んでいました。神々しい-それがぴったりの教会でした。Stlorentz_2
  せっかくニュルンベルクに来たのだからニュルンベルク城を見ようというので北西の小高い丘にある城をめざして橋からは左にFleisch Brigge(肉屋の橋)右にHeilig-Geist-Spita(聖霊施療院)を見ながら来た道を戻りました。
Bridge_2
  石畳の道は丘の麓から急な登りとなり10分ぐらいかかって城門にたどり着く頃には息が上がっていました。すでに夕方の5時を過ぎていましたので城の中に入ることは出来ませんでしたが、ここまで来る価値は十分ありました。この城も先の大戦で破壊され、戦後修復されたそうです。日本も同じように焼け野原から復興しましたがローテンベルグやこのニュルンベルグのように完璧に修復されず雑多なビルや住宅に置き換わってしまいました。国に誇りが持てない日本人が多いのはこのあたりにも原因があるのかも知れません。
Hilltopcathle_2
  帰りは飛ぶように坂を下り集合場所の中央広場に戻りました。今晩の宿はニュルンベルク中心街から5Kmくらい南西のマイン=ドナウ運河のほとりの閑静な住宅街の公園にある Südwestpark Hotelです。

  夕食がないので近くのスーパーで調達しました。買い物カートに鍵がかかってNurunberg16_2いるので使い方が分からないでいると1€コインを入れて鍵を外すと通りがかりの人に教えてもらいました。ホテルの水は飲んでも全く問題ありませんが硬水なので軟水の日本人はおなかを壊すことがあると言われたためMineralwasser-ミネラルウォーターを買うことにしました。このミネラルウォーターは炭酸が入っている mit kohlensaureが普通らしいので ohne kohlensaure を買おうと思いましたがそれでも炭酸が入っている場合があることや表示がよく分からないので結局割高でも Evian を買ってしまいました。 おもしろい顔のハムがあったのでそれも買いました。さすが本場ドイツこのハムはとてもおいしかったです。

2013年6月 5日 (水)

南ドイツ旅行記-ローテンブルグ

  朝8時30分気温は5度、ホテルを出発してアウトバーンを一路ローテンブルグ-正式にはRothenburg ob da Tauber-Rothenburg1ーテンブルク・オプ・デア・タウバー(ローテンブルク伯がタウバー川を望む丘の上に建てた城)に向かいます。アウトバーンは片側3車線。速度無制限区間はありますが日本の自動車専用道路にあたるシュネルシュトラーセの制限速度は大体120km/h、街の始まりと終わりを示す標識の間の市街地は50km/h、それ以外は100km/hに決まっているそうです。バスは100Km/h以下で走るように義務づけられているので走行中はどんどRothenburg_2ん追い抜かれていました。Toiletip_2

  サービスエリアは少なく40-50台も止まれば満車になるくらいの広さで売店も日本の1/3程度でしょうか、トイレ-ドイツ語でToilettes(トアレット)またはWC-が有料で0.5~0.7€のコインを入り口で払うと、そのサービスエリアで使える0.5€のチケットが出てきます。男性用がHeren、女性用がDamen  です。Rothenburg2

  車窓にはのどかな田園の牧草地が拡がっていて、赤い煉瓦屋根と白壁の集落が点在しています。それぞれの村は尖塔のある教会の鐘の音が届く範囲に家々がまとまって建っているように見えます。信仰心が隣人愛を生むのかは分かりませんが、旅行中はどこに行ってもドイツの人たちは親切で優しかったです。日本で感じる表面的な優しさや礼儀正しさとは違って、心がこもっていて、朝は「モルゲン!」と声をかけてくれます。私の子どものころの懐かしさを感じました。戦争に負けてドイツは心を、日本はモノを中心に国の再興を図った違いなのかなと思いました。かつて東西ドイツに分断されていた頃、西ドイツの首都を大都市フランクフルトではなくボンに置いたことは統一されたときに本来の首都であるベルリンに戻すためだったそうです。日本は敗戦から何を学び、行動に移してきたかを振り返っていました。

Rothenburg3  フランクフルトから約200Km、2時間ちょっとでローテンベルグに着きました。気温は14-5度まで上がってきましたが薄手のセーターにコートでも少し寒い感じです。Google航空写真で見ると街全体がお人形さんの頭の形に市壁-戦時中誤って爆撃され600mほど破壊され、戦後
多額の再建資金援助で修復され、寄付者の名前が内側に掲示されている-にまれています。街全体がテーマパークといった趣で、Rothenburg4本物はやっぱり違います。
Rothenburg5
  街の中心マルクト広場の木組みが美しい家(左)と市庁舎(右)です。ここで夏は羊飼いの踊りやワイン村祭り、冬は夢の国のようなライターレスマルクト(クリスマス市)が開かれるそうです。Rothenburg14_5

  この広場の近くのレストランでいただいた昼食はチキンの照り焼きのような味でとてもおいしかったです。 Dunkel -日本でいう黒ビールをいただきました。ドイツでは「ビールは麦芽、ホップ、水、酵母のみを原料とする」という1516年に制定されたビール純粋令がいまでも守られています。そのためか味がまろやかで香りが高く、何杯でも飲めてしまうほどおいしいです。

  おもちゃ箱をひっくり返したようなと形容されるほど街並はメルヘンチックでウィンドウショッピングもまた楽しいです。右上の写真はSchneeball (シュネーバル)-雪の玉という小麦粉を引き延ばした生地に切れ込みを入れて丸く固めて油を揚げて砂糖やチョコレートをかけたお菓子です。南部せんべいを丸めたような食感といったらよいのでしょうか食べるときに手は油だらけになるし、本体はバラバラになって収拾がつかなくなります。でも、とってもおいしいです。

Windowshopping_2

  こうしたお店の軒先には工夫を凝らしたレトロな看板が掛かっています。甲冑もよく店先に飾ってありました。剣ではなく包丁など刃物・金物のお店です。

Sign
  ドイツ語が読める!と思ったら日本語の看板でした。なんだかほっとしました。
Open
  そしてローテンブルグの名所ヘルンブルンネン(噴水:左)とプレーンライン(右)を見ました。ガイドブックや絵はがきによく使われるスポットです。
Ploenlein

  つぎに来るときは一泊したいなと思いました。後ろ髪を引かれる思いで次の目的地ニュルンベルクに向かいました。

2013年6月 4日 (火)

南ドイツ旅行記-到着

  搭乗機はB777で飛び立ってから2時間後と着陸1時間半前に機内食がありまMeal1_2す。この和食に付いてくるおそばがおいしいです。洋食タイプもなかなかおいしそうでした。食事が終わると窓が全部閉められ機内の照明が暗くなり、7時間の時差調整に入ります。エコノミークラスですが777は広いほうでくつろげます。10インチぐらいのモニターで「フォレストガンプ」を久しぶりに観ました。機外の風景もこのモニター時々見ましたが上半分が空色、下半分が雲で真っ白でした。Meal2_3Finland

  フィンランドの上空でようやく雲が途切れて湖沼地帯のような景色が見えました。

  スカンジナビア半島を抜けると2時間くらいでHeathrow乗り継ぎのロンドン・ヒースロー空港に到着しました。トランジットの安全検査で全身スキャンを初めて経験しました。地下鉄でロンドンまで行きたい気持ちをおさえて約2時間待ちました。バスでターミナルを移動、陽気な店員さんのハロッズでお目Lufthansa当てのコFrankfurutーヒーカップを買いました。夜食は無く、近くにレストランもないのでスーパーでサンドイッチを買い込んで、乗り継ぎの飛行機に乗りました。昨年もロンドンで似たようなサンドイッチを買いましたが、具を挟んだだけで味がなく正直なところおいしいとは言えません。フランクフルトに着いたのは9時近くでしたがまだうっすらと明るかったです。

  本日のホテルは空港から30分ぐらいの近くにある4つ星スホテルです。シャワーのみですが十分で上品な設備で、ダブルベットがくっついていてベットメーキングしていないのはドイツの特徴なのだそうです。備品も石けんとシャンプー・リンスのみ。歯ブラシ・スリッパ・浴衣はありませんでした。日本のホテルの至れり尽くせりサービスからすると物足りない感じですが、この後のホテルもほぼ同じで日本のサービスのほうが逆に「過剰」と感じるようになりました。  朝食はいわゆるイングリッシュ・ブレックファースト形式でとりわけパンがおいしかったです。外は15度前後で曇り、風が少しあって肌寒いです。ようやく長い移動の1日が終わりました。
Mercure_4

2013年6月 3日 (月)

南ドイツ旅行記-旅の始まり

  5月下旬に6日間の日程で南ドイツを周遊してきましたのでその模様をまずはMap1_3旅の準備からお話ししようと思います。

  ドイツと言えばロマンチック街道、その始点となるローテンブルグ、終点のノイシュバンシュタイン城のあるシュバンガウをめぐるツアーを検索しました。まずは Travel.jp のような比較サイトでどれくらいの費用で行けるか相場を確認して、いくつか候補を選び出し、パッケージを絞って行きます。最後にツアー内容・日数・費用で選びました。

  昨年は往復の飛行機とホテル(ロンドンを拠点といて連泊)、オプショナルツアーを別々に決めるという方法でツアーを組みました。ゴールデンウィークだったので大手旅行会社のツアーよりも同じ内容で2-3割安くなりました。安いのには理由があって、集合場所が分からなかったり、雑多な国の人たちが集まっているため時間を守らないし、説明も日本語より英語のほうがわかりやすいといった感じでした。今回は目的地が点在していて1日400-500km移動する旅になり、割高になりますが日本の旅行会社のツアーにしました。それが結果的には正解でした。

  ツアー地図はGoogleのマイマップで作成して、ストリートビューやGoogle Earthで周辺を検索、実際の写真を見ておくと現地に行ったときに迷わないで済みます。

  一番気になる現地の天気はこちらの15日間予報で確認できます。
  http://weather-24.net/ja/Germany-all-cities-weather-18/
  Weather
残念ながら予報はほとんど雨か曇り、しかも気温は15℃前後です。実際に晴れたのは最終日ぐらいで毎日曇りで時々雨が降ってきました。このツアーのハイライトのノイシュバンシュタイン城は山奥のこともあって気温は5℃、帰り際の午後3時にはかなり強い雨が降りました。

  天気と同じくらい心配なのが服装。この時期は春から初夏にかけて対応できるようにタマネギの皮みたいな重ね着が良いとのアドバイスがありましたので長袖のカッターシャツ、薄手のセーター(毛100%)、ウィンドブレーカー、ダウンジャケットを用意しました。ただ、インターネットのQ&Aの回答内容は適当なものが多くあまり参考にならないのでライブカメラや海外ニュースで現地の服装を見たり、現地テレビ局ZDFのニュースを見て確認しました。緯度が北海道あたりなので北海道の天気や気温も参考にしました。通常南に行くと暖かくなるのですがドイツは逆で南に行くと山岳地帯になるため寒くなります。

  心配なのがトイレ、急な腹痛、レストランが見つからなかったときの食料、電源でしょうか。そこでポータブルトイレ、下痢止め、カロリーメイト、変圧器を用意しました。Travel
  このうち使ったのは変圧器-正確には変換プラグだけでした。それもバッテリーチャージャーを間違えて持って行き現地での調達となりました。これが逆に便利グッズの発見となったわけですがそれは後のほうでゆっくりお話しします。

  バスツアーはだいたい2-3時間くらいアウトバーンを走り、日本の高速道路のようにサービスエリアが多くあるわけではありません。頻繁にトイレに通うのはどうも日本人とアメリカ人ぐらいだそうで、ドイツの人たちはそうした要求が理解できないといっていました。ガイドさんの話によればドイツ人と日本人とで体質的に差があるのではなく、小さい頃からトイレのない環境で訓練されているのだそうです。実際、公衆トイレは少なく、あっても0.5~0.7€の有料がほとんどです。レストランやファーストフード店で済ませるという手もあります。今回は日本の会社のツアーだったのできめ細かくトイレ休憩が有り、ポータブルトイレの出番はありませんでした。 夕食なしが2日ほどありましたがホテルのそばにスーパーがあり、食料を調達できたのでカロリーメイトもそっくりおみやげになってしまいました。考えてみれば普通に生活している人たちがいるのでこうした「緊急対策」は必要ないのですが、どうも不安で海外旅行ではいつも持って行きます。

  成田空港へのアクセスはいつも鉄道ですが本数が少なく時間がかかかり、往復で1人2000円以上になります。国際空港がこれでは本当に情けないです。そこで、今回は車で行くことにしました。田舎道なので空港近くのインターチェンジ出口までは渋滞もなく1時間程度で着いてしまいました。しかも駐車料は最安で1日400円、送迎バス付きです。1週間ほど前に同じ時間帯に走って予習しておいたので集合時間の1時間前に無事着きました。ツアーデスクに行き、搭乗券をもらって、保安検査、出国手続き・・・で12時頃には機上の人になっていました。Flight

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