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日記・コラム・つぶやき

2014年10月20日 (月)

清く・正しく孤高を生きる

  先週、尊敬する先生が急逝されたので、お悔やみに行ってきました。ちょうど2年Kiyoku1 ぐらい前に先生の主催する研究会に入会してずっと薫陶-というより叱られながらそれまで得た知識をことごとく洗い直されました。先生は国際規格の認証審査制度が日本に導入されたときにその普及と審査員の育成に尽力され、その後の日本企業の標準になりました。この認証制度は企業が顧客満足の実現のためシステムの維持向上を図るしくみになっているかどうか確認・情報公開するのが本来のあり方ですが日本では認証を取得するための手段が目的化してしまいました。

Kiyoku2  1980年代、バブルの日本経済がその拠り所として日本的経営システムを喧伝していました。しかしそれは単に精 神論の上に築かれた終身雇用・年功序列システムに過ぎなかったことがその後のバブル崩壊で明らかになりました。ガラパゴスといわれる日本独自のシステム-それがいま通用しなくなっています。先生は国際規格を導入することによってこのガラパゴス化を打破しようと思ったに違いありません。この国際規格は翻訳されましたが誤訳が目立ち意味が分からない部分が多かったように思います。またその解釈も歪曲され世界標準のはずが日本独自の内容に変質して行きました。この道はいつか来た道-この国際規格も認証取得が目的となり、かつて日本でブームになった活動が形骸化したのと同じ道をたどることになります。その傾向に警告を発し続けていた先生のもとから次第に人が離れて行きました。
 
  先生は言葉とその背景にある文化について造詣が深く、英語はネイティブに限Kiyoku4 り無く近く、使い方を誤ると語源から正しい用法、誤った解釈とその実例をきちんと教えてくださいました。私は英語を多用する仕事でしたので随分と失礼な言い方や誤解を招く言い方をしていたと気づきました。大事なことは何を伝えたいかはっきりと目的を持ちそれに最適なできるだけわかりやすい言葉や誤解されにくい言葉を使うことを心がけることでしょうか。国際規格は英語で書かれていますからとてもよいテキストであることを改めて知りました。真剣にその意図することを実行していればもっと早くグローバル化の必要性に気づいたはずです。

Kiyoku3  勉強法もまた然りです。入会するきっかけになった英語での試験で考え方がよく分からないと相談したところ英語の教科書を紹介されました。 それは私がずっと勉強してきた内容なのですが数式ばかりで現実味のない例題でいまにして思えば理解していたとはいえず、記憶していただけでした。英語の教科書はこれとは全く異なり、現場でどう考えどう応用するかがわかりやすく具体的な事例で書かれていました。日本は戦後アメリカの学問を導入したわけですから内容は同じはずなのになぜこれほどまでに違うのか、せめて5年でも早ければ見方が変わっていただろうとメリーゴーランドに乗ったままのような二十余年を空しく過ごした悔しさを思いました。

  食事中でさえ書物を周りにおいて片時も勉強を忘れず、病の床に臥すまで続けKiyoku5 られたそうです。お会いした当初は私が言うこと為すことを悉く否定されたので反発しましたが理由を説明されて納得しました。いままでの知識は原画や光源を知らずに
影絵を見ていたようなものでした。基礎だと思っていたのはそこから先に進めなかっただけでそこが基礎だと思い込むことで思考停止していました。  それから原書を求めて読むようになって雲が少しずつ晴れて行くのを実感しました。

  そうして、このごろは私の学んだ学Kiyoku7 問や技術、文化のありようは「手段」ばかりなのだなと思うようになりました。英語は大学まで含めると7ー8年になりますが受験勉強の手段、翻訳の手段を学んでいました。仕事も生活の手段で職場での人間関係は仲間はずれにされて職を追われないための手段に過ぎませんでした。仕事は結果的に好きになりましたが始めたころは毎日いつ辞めようかと考えてばかりで、嫌で仕方がありませんでした。ところが何をしたいかと問われても答えられず、
お金が入れば何でも良かったのです。最初から先生のように筋の通った生き方をしていればもっと違った人生だったかも知れません。

  先生はご自身の考え方に絶対的な正しさを持っていらっしゃいましたがそれを押しつけるようなことはせず、自分で何が正しいかを考え自らを導くことを繰り返しおっしゃっていました。残念ながらこの歳になってもまだ自分の考えをきちんとわかりやすく説明することが難しく、正しさを確信できないでいます。厳しいまなざしの遺影に手を合わせ少しでも近づこうと思いを新たにしました。
Kiyoku6

 

2014年6月15日 (日)

頑張れニッポン

  コートジボアール戦、負けちゃいましたね。前半は押し気味で勝っていたのにたっAlbum2 た2ー3分でドログバが逆転、う~ん、悔しいです。ドログバは前半ベンチで待機、ゲームが単調になった後半、途中交代で動揺させその隙を突いた心理作戦にまんまとはまってしまった感じです。台風の目のような存在感はさすがです。今回は初戦でスペインがオランダに大敗する波乱があったくらいですし、まだ終わったわけではないので頑張ってほしいですね。

  こんなときは寺内タケシさんのエレキをガンガンかけて忘れましょう。「寺内タケシ ベストアルバム」(1982年)クラッシクのカバー「運命」で思いっきり暗く始まりベンチャーズのメロディーでノリノリになって「白い恋人たち」でしっとりと締めくくるA面だけで十分です。エアギターでひと汗流してすっきりしました。
Nippon


2014年1月18日 (土)

本物を知る

  オーケストラ・アンサンブル金沢のチケットをプレゼントされたのだけれど、このKanazawa2-3日は雪が降りそうな天気なのでためらっていました。それでも二年前に聴いたオペラがとても印象がよかったので意を決して凍り付くような北風の中を四谷駅近くにある演奏会場の紀尾井ホールに向かいました。これで三度目になりますが、来場する人はスーツ姿やイブニングドレス姿-いかにもコンサートを聴きに来ましたという感じ-雪だるまのように防寒着を着込んだ私はまたもや浮いていました。

 
過去2回は年末で最初は5年前の癌の手術直後で生きててよかったなと感動した記憶があります。井上道義さんの茶目っ気たっぷりの指揮とユーモラスでわかりやすい解説はクラッシックコンサートのそれまで退屈なイメージを吹き飛ばしてくれました。今回は「ニューイヤーコンサート2Donau014」と題され新年にふさわしい華やかな内容でした。指揮棒に国旗をつけた井上道義さんの新年の挨拶に始まり前半がヘンデルの軽快なバロック、中盤が中村恵理さん(ソプラノ)と藤木大地さん(カウンターテナー)によるヨハン・シュトラウスとオッフェンバッハの歌劇のアリア、最後は「美しき青きドナウ」でアンコールが新年らしく「ハレルヤ!」で最高潮に盛り上がりました。舞台下手の桟敷席でオーケストラと井上道義さんを真上から俯瞰するような位置だったので演奏を至近距離で見ることができました。指揮とそれぞれのパートのコミュニケーションの様子がよく分かりました。ハープシコードがあったのでバロック特有のきらびやかなソロを期待したのですが一般的なクラッシックではポロロンと目立たないように弾くという友人の解説をあとで聞いて納得しました。

  「美しき青きドナウ」と「スケーターズワルツ」の区別がつかない私ですがクラッシックはやっぱり生で聴くのがDp11f一番と思います。肌で感じる空気 の振動、コンサートホールを満たす複雑な音の広がり、演奏者の息づかい、指揮者のダイナミックかつ繊細なリードは画家が空間をキャンバスに音符を描くようなものだと思います。1曲終わるごとに作品の仕上がりに拍手で応え、盛り上がって行くさまはステレオセットでは再現不可能ですね。音だけを聴くならステレオセットでもかなり忠実に再現できると思いますが、その音を紡ぎ出す人の表情、所作から得られる感動はやはり生演奏でしか感じられないと思います。

  クラッシックコンサートは中学からの友人が地元のオーケTrampettストラ楽団にトランペットで入団してその演奏会に呼ばれて聴いたのが最初だったかと思います。風が強くて楽譜が飛んでしまい、厳かなコンサートがコミックバンドを見ているようで楽しかったです。高校の卒業式でヴィヴァルディの「四季-春」の生演奏があり、3年間の高校生活がこれで終わるのだと印象深く聴きました。中学の友人は高校も一緒で「運命」のレコードを貸してくれたのですが冒頭の「ジャジャジャジャーン」を聞いて数分もしないうちに飽きてしまい、それからフォークやロックに興味が移ってこのコンサートの生演奏を聴くまでずっと忘れていました。

  それが5年前のことで、そのあたりから中古のオーディオシステムのコンポーネントを集め始めました。当Win8初はなかなか生演奏のような音が出ず、試行錯誤を繰り返していました。そんなとき、先のクラッシックに詳しい友人からアドバイスされたプレイヤーを思い切って購入、その後この友人からアンプをもらってからクラッシックを聴くとそれまでとは全く変わって、求めていた音に近づいてきました。

  いまではインターネットで検索すればそうした「生演奏」が簡単に聴けるいい時代になりました。しかしそれはあくまで「疑似体験」にすぎず本物の迫力には遠く及ばないように思います。逆に簡単に体験できてしまうので本物の良さを知らないでいる人が多いのではないかと思います。それが生身の人間の感情や気持ちをますます理解できなくしていて不毛な人間関係を加速しているように思います。国と国との関係もこの数年は何が目的か分かりませんが政治やメディアを操作して事実を歪曲して喧伝し、その関係を意図的に対立させようという動きが激しくなってきました。「勤勉で礼儀正しい国」なんて仮面をかなぐり捨てて本物の国家をめざして戦うべき時だと思います。そうでなければ先の大戦でこの国の将来のために尊い命を捧げてくれた人たちが報われません。

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2013年9月 6日 (金)

LPレコード再発見・新発見

  アメリカのR&Bやロックンロールの源流となる音楽を切りLphakken1開いた人たちが伝説的なブルースのレーベルのチェス・レコードで繰り広げる栄光と挫折のの実話を元にした「キャデラック・レコード」をBSプレミアムで放送していました。チャックベリーの破天荒な人生、ビヨンセが演じるエタ・ジェームスの哀しみを絞り出すような歌がぐっと来てとうとう最後まで観てしまいました。

  それで、1950年代の音楽状況が知りたくなって図書館Lphakkenに行ったら「LPレコード再発見」と「新発見」を見つけて早速借りて家に帰り読みました。JAZZの名盤の録音状況やレコードにまつわるさまざまなエピソードがとても丁寧に書かれています。紹介しているレコードもきちんと聴いて説明しているので説得力があります。ただ、その内容は知っている人が読んだらとてもおもしろいと思いますが、残念ながら私がクラッシックと同じようにJAZZに疎く、私にはさっぱりでした。

  それでもレコードのカッティング方法でDMM(ダイレクト・メタル・マスタリング)の話は興味深く、音質向上のためにさまざまな技術が開発されてきたということが分かりました。もう1つは良い音を聴くためのレコードプレイヤーのセッティングが80ページ近くにわたってその方法と理由を詳細に説明しているところがとても役に立ちました。早速実践してみようと思います。

  映画と本を通じて作る側の音楽に対する情熱-アメリカの場合は音楽で名を上げることで黒人に対する偏見や差別を取り払おうとした熱意を感じますし、それをレコードという形で提供する人たちの原音を忠実に再生しようと追及する姿を強く感じました。レコードもプレイヤーも粗末に出来ないなと改めて思いました。先達の情熱と労苦にただただ感謝です。Lphakkenn2

2013年1月30日 (水)

ともに青春を老いる

  東京国際フォーラムで開催されたさだまさしさんの40周年記念コンサート後夜祭~うたうDay~-の千秋Sadacity楽に行って来ました!前夜祭はじゃべるDayと副題がつけられているようにほとんどおしゃべりだったようです。両方とも見ているファンが多かったようで前日のネタで受けていました。三部構成で第一部が41枚目のアルバムCD「もう来る頃」の曲と東京に因んだ曲。サンバのようなロックのようなC&Wのようなフォークのような、さびがあまりハッキリしない、曲の印象が聞きやすいけど残らない-聴いているときは心地よいのだけど、はて何だったのだろうという感じでした。円熟の境地に入りつつあるのかなと思いました。

  休憩を挟んで第二部は「大変なンすからもォ。」の知る人ぞ知るお楽しみコーナー、第三部がヒットメドレーでした。会場は4000人収容でだいたい同世代。それがわかったのは前の方で振られるペンライトがが縦だったり横だったり、タイミングもバラバラで適当な感じだったからです。この世代はペンライトに慣れておらず、かといって若い人に聞くのを潔しとせず、見よう見まねで必死に合わせようとするからです。同じく手拍子も全く合っていませんでした。

  アンコールは2回というのがこれまでのお約束だったようで、幕が下りて場内アナウンスがあり、かなりの人が帰ろうとしました。鳴り止まない拍手にさだまさしさんが登場してグダグダになりながらも「がんばって-!」の会場からの声に励まされ最後の最後に1曲歌ってくれました。サービス精神が旺盛なのはアルバムのライナーノーツを見て知っていましたがコンサートでもその通りでした。プラチナチケットなのであきらめていたこともありましたが、これまでコンサートに来なかったことを悔やみました。

  さだまさしさんは「音で楽しませる」-音楽のエンタテナーに徹していてその才能もさることながら構成のすばらしさもよくわかりました。もう1つはともに青春を過ごした人たちとともに老いることを受け入れて喜怒哀楽を共有しようという姿勢です。綾小路きみまろさんほど毒がないにしても「老い」をネタにして楽しませ、ちょっぴりほろっとさせるところがさださん流です。それにしても還暦を過ぎてこの声量・やさしい語り口は相当な努力の裏付けがあってのことだと思います。私もがんばらねば。老け込んでいる場合ではありません!
Tokyost

2012年11月30日 (金)

YMO外伝

YMOの坂本龍一さんに惹かれたので自伝「音楽は自由にする」を読みました。YMOの活動はYmo21978年2月に細野さんの家に招かれてこたつでミカンとおにぎりを出され、構想を練った伝説の「こたつ会議」に始まります。それまでの坂本さんはスタジオをネズミのように駆け巡ってレコーディングに明け暮れていた「ニヒルな日雇い労働」者だったといいます。YMO結成後9月にファーストアルバムをりりース。翌1979年8月にLAでチューブスの前座として初めての海外公演、9月にはセカンドアルバム「ソリッド・ステート・サヴァイバー」をリリースしてワールド・ツアーが始まります。ツアーは大成功で11月に帰国したときは「国民的スター」になっていました。そのために外に出ると指を差されるような状況になり、そのことにプレッシャーを感じたようです。ツアーの模様を収録した「公的抑圧」(1980年)はそうした状況を言い得ているようです。

  本の下敷きにしたX∞Multipleは米国で同時期の1980年7月にリリースしたアルバムで本来は「ソリッド・ステート・サヴァイバー」として発売される予定がA&Mのホライズンレーベルが消滅したため、前月の6月にリリースされた日本版の「増殖」に「ソリッド・ステート・サヴァイバー」を加えてリリースしたレコード番号ALR-28004の12インチのアルバムです。日本版の「増殖」(レコード番号YMO-1)は外観は10インチで段ボールの枠で12インチに合うように作られ、曲の内容も「スネークマンショ-」とのコラボでコントが入った珍しい構成になっています。

 坂本さんはYMOの活動と平行して反・YMO的なアルバム「B-2ユニット」を1980年9月に発表、これに対抗するかのように細野さんと高橋さんが1981年3月に「BGM」をリリースして確執が芽生え始めます。1982年はそうした背景もあってYMOは活動休止、坂本さんは大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」にビートたけしさん、デヴィット・ボウイと出演、このときに音楽を任されたのがきっかけで、カンヌ映画祭でベルナルド・バトルリッチ監督に出会い「ラストエンペラー」の作曲、アカデミー賞受賞につながってゆきます。

 坂本さんは小学校1年からピアノ、5年から作曲を始めて新宿高校、東京芸術大学をストレートで合格、卒業しているので天才だとずっと思っていました。この本を読むと受験勉強もかなりしているし、映画音楽を作るときはその人物に関する情報を徹底的に集め、時代考証をしてしかも短期間で不眠不休で作り上げるという大変な努力家であることがわかりました。その反面、ビートルズやローリングストーンズに憧れ、ジャズ喫茶に入り浸っていたようですし、有名な監督や芸能人に会うと感激するミーハー的な軽さがあるかと思えば、男気を感じさせるところもあって冷たい感じのする風貌からは想像できない人間味があって、自分の生き方に正直な人だなと思いました。だからこそ坂本さんの作る音楽は聴く人を引きつけてやまないのだと思いますね。海外で受けるのは日本人だから興味を引くのではなく、そのアイデンティティだろうと理解しました。

 YMOはその後、意図的にポップス路線に転向しておじさんアイドルとしてヒットを狙った「君に、胸キュン」を収録したアルバム「浮気なぼくら」をリリースして1983年に散開、10年後の1993年に「周囲にのせられて再生」しましたがしっくりいかないままで機は熟していなかったようです。YMO再々結成が実現するのは2002年頃細野さんと高橋さんが始めたバンドのスケッチ・ショウに坂本さんが「すりよって」できたそうです。それも「たまには集まって3人でごはんたべよう」という感覚だったらしいです。3人とも独自の分野で音楽性を確立している人たちですから刺激を求めて集まり、いい仕事ができたところで散開するといったプロジェクトチームの感じでとてもいいですね。2010年にはポッキーのTVCMエビバデポッキー宣言篇で「増殖」の人形を赤白に変え、RYDEENに乗せてYMOのメンバーがちょっと照れくさそうに出演しているのがほほえましいですね。

 坂本さんは1990年にニューヨークに引っ越し、911をで体験して「非戦」という本を出版しました。2007年には森を増やす「モア・トゥリーズ」というプロジェクトで社会的活動も始め、その活動範囲は際限がありません。こんな素晴らしい人生を歩けたらいいなと本を読み終わって感じました。
Trees

2012年10月15日 (月)

愛よ急げ

南こうせつさんのライブに行ってきました。2時間半、20曲近く、ほとんど休みなしで歌い、アンコール3回、最後はKosetsu全員総立ちで拳をあげていました。高音はさすがに難しいみたいですが声量は十分、優しさは歳を重ねてより力強く奥深くなった感じです。かぐや姫時代の曲がほとんどの構成で「夢一夜」、「神田川」、アンコール曲で「妹」を歌いました。「夢一夜」はソロになってからのミリオンセラーでアルバム「こんな静かな夜」に収録されています。
かぐや姫は第一期と第二期があります。第一期はクラウンレコードの新人オーディションでデビューして、「酔いどれかぐや姫」や「変調田原坂」など同じ時期に流行ったフォーク・クルセダーズの「帰ってきたヨッパライ」やザ・ダーツの「ケメコの歌」のようなコミックソングを歌っていました。第一期はテレビやレコード会社の意向に振り回され、それがテレビ離れになったそうです。第二期は伊勢正三さん、山田パンダさんがメンバーとなり青春でデビューしますがブレークは「神田川」まで待つことになります。Kaguyahime3rd

「神田川」は「マキシーのために」で歌詞を提供し始めた喜多條忠さんが30分で書き上げて電話で南こうせつさんに伝え、3分後に曲ができたという伝説的な名曲です。大学2年の終わりごろでしたか部室で友人がこの曲をギターで弾き語り、胸を締め付けられるような思いがしたことを失恋と一緒に覚えています。部の飲み会で酒を飲み過ぎて介抱されるときにその人の名を大声で叫んでしまったようです。いまでも思い出すと大声で叫びたくなる・・・そんな経験はありませんか?酒を飲まなければ告白できない、そんな風に思われて嫌われてしまいました。いまだったらきっと手順を踏んで何とかなったかもしれません。こうせつさんに昔の恋人の顔を思い描いてくださいと呼びかけられて真っ先に思い浮かべてしまいました。横にいた妻に気づかれはしまいかとひやひやしてました。「Kaguyahimelive_2神田川」はライブでも圧倒的な人気でこうせつさん自身が「南こうせつは神田川で終わったわけではありません!」と笑いを誘っていました。確かに最近の曲の時は拍手が極端に少なくて「無理しなくていいです」と言っていました。

このあと、かぐや姫はメンバーのそれぞれが作詞作曲を始め、かぐや姫LIVE、三階建ての歌とアルバムをリリースしヒットを飛ばしてゆきます。「神田川」の曲調を色濃く残した「赤ちょうちん」、「夢一夜」と雰囲気が似ている「妹」がミリオンセラーで4畳半フォークと揶揄されましたがどれも名曲で「三階建ての歌」に収録されました。Sankaidate映画化もされましたがどうもこうせつさんのイメージとは違っていたようです。

このアルバムから伊勢正三さんが「22才の別れ」と「なごり雪」を作詞・作曲して、風とイルカへと歌い継がれヒットして、いまでも全く古さを感じられずに歌われています。演歌もそうですが人の心を打つ歌は世代を超えて歌い継がれるのだと思います。1975年かぐや姫は解散コンサートを最後に、「かぐや姫フォーエバー」という4枚組のアルバムをリリースして、3人がそれぞれの道を歩むことになります。

山田パンダさんは楽曲を提供する作曲家、俳優さんから保父さんへと転身して、その体験を綴った「保父してみたら」という   Kaguyafinal_3
本が反響を呼び、全国から声がかかり、NPO活動にも参加して子どもとの関わり合いをライフワークにしています。

伊勢正三さんはフォークデュオ風を経て、一時休止するものの作曲活動を続けていて最近では「木綿のハンカチーフ」の太田裕美さんや「学生街の喫茶店」(ガロ)の大野真澄さんとセッションなど音楽活動を続けています。

南こうせつさんはソロになって「夢一夜」のあと、大きなヒットはありませんが優しい歌を相変わらず歌い続けています。今回のライブの副題となっている「愛よ急げ」は阿久悠さんの遺作でごAcostic_3子息がこうせつさんに届けた詩に曲をつけそれがちょうど大震災のときだったそうです。ニュースで被災した八軒中学校の吹奏・合唱部が全国大会に出られないことを知り、東京でコンサートできないか何度も交渉したのですが震災直後とということで断られ、しばらくして、ふたたび校長先生に渋谷の野音でのコンサートへの参加を申し出たところ、校長先生も南こうせつさんのファンで快諾され、実現しました。生徒のみなさんは振り付けを考えてきて、今回のコンサートではまぁるい地球・・・というパートを会場全員でお遊戯のように演じました。こうして会場と一体になるところがフォークの良いところですね。南こうせつさんはこれを機にさだまさしさんともチャリティコンサートを始めています。

それぞれが別の道ですが共通しているのは信念を持って自分の才能を信じて行動していることでしょうか。当時ギターを持ってフォークを歌っている人はたくさんいました。プロを目指した人も多かったと思います。1曲だけすばらしい曲を残して去った人たちも多いです。たくさんのヒットに恵まれるか、1曲で終わってしまうかは多分に運命が左右すると思います。その運をつかめるかどうかよりも名曲でなくても私は自分の才能を信じて行動する南こうせつさんや歌手の人たちをたとえ売れなくても尊敬します。決してサラリーマンがだめだというのではなく、一生の間一度でもいいから歌手でなくてもいいから、自分を信じてあげたかったとこうせつさんの歌を聴きながら思いました。もちろん、いまからでも決して遅くはないと思っています。復興支援で自分にも何かできることがあるのではないか・・・と思いました。

芸能人がこうしたチャリティーコンサートをすると売名行為だとか言われがちですが、私はすごいといつも思っています。マスコミは現地の窮状を感情的に訴えるだけで、何が問題でその原因が何なのか全く追求していません。復興費が全く別の使途に使われていたという事実をNHKの特集まで全く知りませんでした。復興予算がなぜ使い切れないのか、本当に困っている人の元に届かないのかそのからくりがやっとわかりました。やっかみ半分で芸能人のチャリティー活動を云々したり、取るに足らないゴシップを追いかける前にジャーナリストして使命をきちんと認識して、芸能人の活動を応援するように、問題をきちんと事実で追求し、わかりやすく知らせるように変えてほしいですね。こんなに美しい曲が作れる人たちだからこそ純粋に現地で苦しんでいるみなさんの気持ちを理解して励まそうとしているのだと思います。阪神淡路大震災の時もそうでしたが結局、自助努力という責任放棄で終わってしまうこの国のあり方にどうしようもない怒りを感じながら南こうせつさんの優しい声で、怒りをしばし忘れようとしています。怒っているだけでは何も始まらない・・・そう思います。Dsc_0261
※内容についてYOMIURI ONLINEの「青春グラフィティー」を参考にさせていただきました。

2012年9月12日 (水)

5Sは続く・・・

クローゼットを見たら整理したくなって、また始めてしまいました。Stone秋葉原で必要もないのに買い集めたものばかりです。AC電源やコード類が多いのでまず整理-必要なものと不要なものを分ける-を30分ぐらいしましたが愛着のあるものばかりで仕分けはやめて外箱を捨てることにしました。次に整頓-必要なものをすぐに取り出せるようにする-を3時間ほどかけてしました。コード類は絡んで取り出しにくくなるのできつく束ねたり、ACコードは本体に巻き付けました。これまで雑に入れてましたので引き出すと塊のようになってきます。ACコードとUSBコードはこれに加えて種類が多く分類が難しいです。アダプターの形状なんて同じでも構わないのになぜこんなに種類があるのでしょう。きっとメーカーの在庫管理担当者は私以上に頭を悩ませているに違いありません。そういえば昔シャープのパソコン用の周辺機器のアダプターが他社と極性が逆で互換性がなかったことを思い出しました。携帯のACコードはその機種分だけありました。今では少なくなったとはいえUSB形状が特殊です。(100金にありますが)

最後に清掃(不要なものを捨てる)、清潔(維持できるように工夫する)、躾(習慣的に行う)方法を考えました。不要なものは買わない・使わないものは捨てる・5分以上探してないものはあきらめる・・・など決めました。5s

レコードは邦楽(上段)と洋楽(下段)に分け、邦楽は影響を受けた順でトップが加山雄三さん、洋楽はクラッシックギターの名曲がトップになりグループから個人、オールデーズで終わります。レコードは月1回程度買い出しに行く予定なので少し余裕を持たせました。

「余裕」で思い出したのがフランスの老夫婦の小話です。たしか、こんな話だったかと思います・・・・・・・・・
ある日、老夫婦が海岸を散歩していて流れ着いた瓶を見つけ、それに海水を入れて栓をしました。それを見ていた通りすがりの若者がなぜ瓶一杯に海水を入れないのか怪訝そうに尋ねました。すると「満潮になったときに困るじゃないか」と答えたそうです。

そういえばさだまさしさんがソロになって出したファーストアルバムの「帰去来」の中に「転宅」という曲がありまして「人生は潮の満ち引き・・・」というリフレインがあります。事業で失敗して転宅を余儀なくされて、その引っ越しの日の父の後ろ姿と、当時九州で製造ラインを立ち上げなかなかうまくいかず先が見えないつらい日々で転職を考えていた私の心境とがが重なってこの曲が胸にしみてきました。その後に「随想録」というライブの音源を編集したアルバムがあって、この中のMCで当時の状況をさださんが説明して、何度聴いても良いです。「随想録」には「掌」(てのひら)という曲もあってこれもいつか「聴き語り」しようと思います。

2012年9月11日 (火)

300枚・・・

さっそく録音機材のテストを始めました。LPレコードはNSPの「青春のかけら達」です。

Nsp_3USB経由でCreative MediaのDigital Music LX です。発売当時はWindowsXP対応でしたのでむりかなと思いつつ、サポートページのドライバーを確認したところWindows8までドライバーが提供されていました。この会社は何度かサポートでお世話になっており、技術力もあるので安心です。しかし、ドライバーダウンロード後に録音しようとしましたが残念ながらながらできませんでした。ラインアウトから音が出ているのは確認しましたがUSBからの取り込みができません。三時間ぐらいあーでもない、こーでもないと考えたのですが音無し。デバイスはちゃんと認識されていて「有効」になっているのにです。下手な考え休むに似たり・・・ということで作戦を変えて今日はレコードの整理をすることにしました。

部屋が狭い上に半分が本棚とパソコンとオーディオラックで占められていますので散在したレコードを一カ所に集めるにはパズルのようにレイアウトを考えなければなりません。押し入れ→本棚→カップボードの順に整理してようやくこんな感じにまとまりました。

300redordsレコードの横置きはよくないのでまた避難先を考えなければなりません。ざっと数えたところ300枚になりました。当時は1枚2000円ぐらいでしたから60万円になります。それが1/20で手に入ったのですから満足感がこみ上げてきました。マニアの人は部屋一杯でも足りないくらい持っていらっしゃるのでしょうけれど私にはこれで十分です。ジャンルとしてはフォークが中心でロックやJポップ、演歌があり、青春時代は方向性のない適当な暮らし方をしていたのかなと改めて感じました。曲の内容よりもTVやBGM、ラジオで聞いたグループや歌手の名前とジャケットの綺麗さで選びましたので聴くのが初めての曲が半数以上あります。学生時代は寮生活で体育系の部活でしたから軍歌の歌詞を変えただけのような大声で吠える歌しか歌いませんでした。NSPのようなしんみりした曲は当時だったら「女々しい」と思ったのでしょうけれど、聞き直すと何だかとっても大事な時間を損した気分ですね。彼女ができなかったわけです。(笑)

レコードの整理のつもりが、思い出の写真やレコードが出てくるものですからこの時間になってやっと終わりました。明日はVistaのPCで再挑戦です。


2012年9月 9日 (日)

ブログ始めます。

北風と太陽・・・みなさんはどちらが好きですか?

これまでのWave人生を振り返ると
北風に吹かれているときは
とても長く太陽を見た日は
少なかった・・・
陽の当たらないところを
ずっと歩いてきた・・・
そんな感じですね。
運といえばそうなのだけれど、
よく考えたらあまり大きな
目標を立てずに毎日を無事に
過ごすことだけ考えていました。

子供や家族のため・・・
そんないいわけをずっとしながらです。
それでいて出世した人や大儲けした人の話を聞くと結構、悔しかったりします。
努力しなかった?いえいえちゃんと勉強もしたし、資格も取ったし、
仕事もまじめにこなしました。

だから、無事定年を迎えることになったのだけれど、この半年は
在職中にあれもしたいこれもしたいと思っていたことを何一つせず、
ああすればよかった、こうすればよかったと考えていると一日が
暮れてゆく・・・そんな感じでしたね。目標を持つとかではなく、
あきらめていたんですね自分に。人間の能力なんてそう変わらないし、
運だって気まぐれであてにならない。成功している人たちの多くは
たぶんずっとこうなりたい、自分にはその才能がある、だから
今はつらいけど乗り越えたらきっとうまくいく・・・そう考えて
自分にむち打って努力してきたんだろうなって思います。
いまさら遅いけど・・・

でもね、
この先、何年生きられるかわからないけれど今までと同じ考えでいたら
10年後にまた悔やむだろうなって思う。だから一つでもよいから
こうしたいと思ってこれからを生きてみたいと思う。

それで選んだのがLPレコードのデジタル化・・・といっても
お金をかけられないのでLPレコードは秋葉原のガレージで
売っている中古、デジタル化機器もヤフオクで落とした
中古ばかり。専門的なことは一切なし。ぼちぼちデジタル化して
その感想を書き留めようかと思います。
よろしければおつきあいください。

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